Turning Point 〜大学生
小学校と中学校で多くの人と出会い
音楽の道に進み始めた自分
ここでも大きな転機を迎えます。
劣等生の高校時代
おそらくギリギリの成績で高校に合格。
1番苦手だったのは聴音。
ピアノで曲を弾いたのを耳だけで楽譜に書き取るというもの。
しかも、移動ドと固定ドというのが存在していて私は移動ドがベースにあった。
移動ドは、音階はどの調でもドレミファソラシドと聴こえる体質。
カラオケでキーが高いから下げて歌うのが容易にできる人は移動ドが多い。
固定ドは、ピアノの鍵盤と一緒でドはド、レはレで聴こえる。
絶対音感を持っている人はこっち。
そう。ベースは移動ドなのだけど、固定ドで聴こえる時もあるというめんどくさい。
まぁ、そもそもどっちでもないというのが本当だったかもしれない。
訓練してそれなりに身についた(はず)だけど、
結構苦労した。
他にも他の人より劣っていることばかりで、苦労したというよりも、
周りに迷惑ばかりかっけていたけど、
それなりに楽しく過ごしていた。
有志オーケストラ
大学に入った音大生のあるあるが
有志でオーケストラを作って、自分たちがやりたい曲を演奏すること。
我々も例に漏れず結成。
Under Ground Orchestra
何でそんな名前だったのか思い出せませんが
この記事を書いていて名前だけポッと思い出した。
私の楽器は、オーケストラのレギュラー楽器ではなかったので、
(吹奏楽では定番ですが)
裏方兼副指揮者として支えていた。
実はこの経験が、今の仕事に繋がっている。
有志のオケの割にはまぁまぁ仕事もしていた。
レインボウ21
私の1番の転機とも言っていいこの企画。
アートマネジメントという言葉が出始めた頃
サントリーホールが企画した
音楽大学のデビューコンサート。
最初は各大学から推薦された学生が演奏をする企画だったが、
コンサートの企画も学生がして、
ホールが支援してくれるという画期的な企画だった。
私の師匠が、大学が主催する演奏会を取り仕切る部署のトップだったこともあり
「やってみるか?」
と声をかけられた。
サントリーホールで自分が企画した演奏会ができる。
こんなんチャンスはない。
二つ返事で企画に参加した。
1998年の秋の事だった。