Turning Point サントリーホール
日本のクラシック音楽ホールの伝統
サントリーホール
1986年、まだ小学生だった私は、
お年玉と小遣いを貯めて、初めて一人でコンサートを聴きに行った。
いつの公演だったかははっきり覚えていないけど、
ただ、サントリーホールに行ってみたくて、
買ったチケットだった。
そんな憧れから10数年
自分の企画がこのホールで実現するとは小学生の自分には、
想像もできていなかっただろう。
あだ名(マッスル)
この企画に携わったおかげで、
サントリーホールのいろいろな企画に参加させてもらった。
・ホール・オペラ
・ウィーン・フィル
・響 ガラ・コンサート など
本当に多くの企画に参加させてもらった。
その中でも、よく、指揮者やアーティストのカバン持ちならぬ、ケアをする業務が多かった。
指揮者では、サイモン・ラトル、クリスティアン・ティーレマン、小澤征爾、ダニエル・オーレン、マルコ・ボエーミ、二コラ・ルイゾッティ。
歌手では、ダニエラ・デッシー、ジュゼッペ・サッバティーニ、レナート・ブルゾン、ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ、マリア・グレギーナ、ニール・シコフなどなど
本当に多くのアーティストと短いながらも濃い期間をご一緒させていただいた。
その中でも、サイモン・ラトルは、ウィーン・フィルのベートーヴェン・チクルスで一緒に日本中をツアーする際に、
かばん持ちをさせていただき、一緒に移動をした。
今では本当に考えられない貴重な時間だった。
移動の朝、私はラトルの荷物を部屋まで取りに行き、次の場所まで運ぶことをしていて、
空港や駅までの車の中で
「いつもありがとう。ルイージは僕の力持ち(muscle)さんだね。これから、マッスルさんって呼ぶね。」と言われ、
ツアー中ずっとその名前で呼ばれていた。
時には室内楽でピアノを弾いた時の譜めくりもしたし、
電車の中でベートーヴェンの交響曲のこの部分ってどう思う?と
こんな私の意見を聞いてくれてたり、本当に夢のような時間だった。
あだ名(ルイージ)
ちなみにこのルイージもアーティストにつけていただいた。
イタリア語の通訳の方ととても似ているファーストネームだったこともあり、
マエストロが区別して呼ぶために、私をルイージを呼ぶようになった。
日本でいう太郎・次郎の次郎がイタリアではルイージらしい。
通訳の方よりも年下だったので、弟として名付けられたっぽい。
何年も同じ企画でご一緒し、そのたびにルイージと覚えていてくれ、
調子が悪い時の食事まで作ったりしていた。
ほかにも、アーティストのお子さんのために、
日本にしかなったゲーム機やポケモンの具体的グッズを手配したり、
夢の国に一緒に行ったり、
本当になんでもした。
でも、その時の経験が今の自分の礎になっている。
アーティストに対する接し方やどこまで希望にこたえるべきか
そして、最高のパフォーマンスをしてもらうためには
どうしたらいいのか?
現場にいないとわからない、教科書では教えてくれないこの業界を経験できた。
それがすべて、レインボウ21がきっかけなのだから、
とてもすごい。