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#468 「結局誰のお金なのか」という感覚:リーガルマインド

【 自己紹介 】

※いつも読んでくださっている方は【今日のトピック】まで読み飛ばしてください。

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このブログでは,現在弁護士5年目の僕が,弁護士業に必要不可欠な経験と実績を密度高く蓄積するため,日々の業務で積んだ研鑽を毎日文章化して振り返っています。

日々の業務経験がトピックになっているとはいえ,法律のプロではない方々にわかりやすく伝わるよう,心がけています。スラスラと読み進められるよう,わかりやすくシンプルな内容でお届けしております。肩の力を抜いてご覧くださると嬉しいです。

ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが,アクセスしてくださり,ありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:リーガルマインド 】

昨日は,かなり頑張って書いたので,かなり疲れました汗

今日は,昨日頑張って書いたおかげで,点と点がつながった感じがしたので,ちょっと書いてみます。

昨日は,ひたすら不当利得について書きましたが,結局のところ,2回も最高裁で争ったのは,「結局このお金って誰のお金なの?」という,めちゃくちゃ素朴な話です。

「不当利得」というまな板を持ち出すと,「損失」とか「利得」とか「法律上の原因がない」とか,めちゃくちゃ難しい話をしなきゃいけないんですが,結局は,「誰のお金なの?」というだけでした。

ここで,簡単な話をわざわざ難しくしてる,なんて言葉が聞こえてきそうですが,そんな風には思いません。

きちんと難しくしなきゃだめだと僕は思います。なるべくわかりやすく簡単にしてしまうと,基準が明確ではなくなってしまいます。

法律が適用されるかどうかは,裁判でその権利を実現できるかどうかを左右するんですが,権利があると認められると,国家権力が適法に,相手の財産を差し押さえたりできるようになるわけです。

これって,めちゃくちゃ怖い話じゃありませんか?

だから「わかりやすくて簡単な話」では困ってしまうんです。小難しくなったとしても,基準を明確にしとかなきゃいけないからです。

国家権力が,適法に,個人の財産を差し押さえるわけですからね。曖昧な基準で決めちゃダメです。

脱線してしまいましたが,話を元に戻します。「結局誰のお金なの?」を,最高裁まで争った,という話です。

この「結局誰のお金なの?」は,預金の場面でも出てきます。

この預金,誰のモノなの?というのは,たまに争われて,僕もいちど経験しました。

↑のブログで少し書きましたが,「預金者(=銀行に払い戻しを請求できる人)」は誰なの?という話があって,基本的には,「中のお金を出した人」と考えられています。

「出捐説」と呼ばれていますが,「出捐」とは,「お金を出す」という意味です。預金口座は,必ず誰かの名義で開設されますが,とはいえ,中のお金を出した人のモノだよね,という素朴な考えが最高裁の立場です。

預金者の認定にしろ,不当利得にしろ,結局,誰のお金なの?というのを探究しているだけなんです。

この「結局誰のお金なの?」という感覚が,リーガルマインドの一部のような気がしました。

僕ら弁護士の仕事は,とにかくお金の話がついてまわります。

お金を返してほしい

お金を払ってほしい

お金を返したくない

お金を払いたくない

貨幣経済ですから,お金お金となってしまうのは,仕方ありません。

僕は別に,お金お金となってしまう人ってイヤらしいなとは思いません。

貨幣経済で生き残るには,お金が不可欠ですから。

貨幣経済では,お金のあるなしが命に直結するので,お金について必死になるのは,生き残りをかけた人間の本能です。

人間に限らず,どの生き物も,自分という個体が生き残ることを本能的に望んでいます。これは遺伝子に組み込まれているので,自分ではとめられません。

貨幣経済で,お金のあるなしが命に直結するのであれば,当然ながら,お金を求めてしまいます。

ちょっとお金の話が長くなりましたが,「結局誰のお金なの?」という話に戻ります。

この「結局誰のお金なの?」という感覚は,弁護士の仕事を続けるうえで,とても大切だと思います。

例えば,引出金を返せという請求を考えてみても,返せと請求する「引出金」が,「結局誰のお金なの?」という感覚は,めちゃくちゃ大事です。

引出金を返せ!と請求する側は,とにかく,預金の履歴で明らかになった引出金全部を返せと要求したがりますが,そんなのムリです。

だって,そのお金は,亡くなった本人の「モノ」ですから,その本人がいくらでも引き出して生活費に使っていいからです。

「結局誰のお金なの?」という感覚があれば,「亡くなった本人のお金なんだから,本人が使ってもいいに決まっている」という話になるわけです。

ただ,亡くなった本人のお金なのに,本人の承諾なく,誰か別の人が勝手に引き出して着服したのであれば,そりゃ返してもらわなきゃいけないよね,ということになります。

そして,例えば,自分名義の預金があったとしても,その預金の中身が,誰か別の人のお金なのであれば,その預金自分のモノじゃないので,銀行に払い戻しを請求することはできないんです。

銀行は,名義人本人が払い戻しを請求すれば,そりゃ払い戻しに応じるでしょうが,しかし,自分のお金ではないことを知りながら払い戻しを請求すれば,それは,銀行に対する詐欺罪になるでしょう。

もちろん,その預金を,中にお金を入れた人から貰えば(贈与を受ければ),堂々と払い戻していいです。

【 まとめ 】

「結局誰のお金なの?」という感覚は,とっても大切です。とても素朴ですが,決して失ってはいけない感覚だと思います。

弁護士の仕事をしていると,どうしても,難しい議論をしたくなります。そういった難しい議論も当然必要です。難しい議論,難しい知識をきちんと理解できる能力を持ち合わせていなければ,プロとして失格でしょう。

特に弁護士は,法律の知識を売り物にしているわけですから。

弁護士として経験を積んでいくと,どうしても,経験に頼りがちになって,難しい議論をおざなりにしてしまう傾向があると思いますが,それじゃあ,弁護士失格ですし,何より,楽しくないと思います。

勉強ってめちゃくちゃ楽しいのに,勉強をおざなりにしてしまうなんてもったいなさすぎます。

いつまでもいつまでも,難しい話をしていたい。いろんな本を読んで,いろんな知識をインプットしながら,仕事したいです。

経験に頼るようになると,傲慢さも出てきます。だって,経験年数は,今後どんどん増えていくわけで,そうすると,どんどん経験に頼りやすくなってしまうからです。

いちど経験を理由にしてうまくいってしまうと,その魅力にドハマリしてしまい,ずっと経験を持ち出すようになるでしょう。

経験って,減らないんです。お金と一緒で,腐らないし,過去の経験は美化されていく一方です。

そんな「経験」という麻薬に,僕は染まりたくありません。

いつまでも,自分が無知であることを心に抱きながら,謙虚に勉強していきたいです。

なんか,今日はいつにもまして支離滅裂になってしまいました。最後まで読んでくださった方,お付き合いありがとうございました。本当に励みになっていますので,これからもどうぞよろしくお願いします。

それではまた明日!・・・↓

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