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他人の人生には関与出来ない
「私が見ている世界」の中でも触れましたが、基本的には誰かの人生に関与することはできないと思っています。
それはその人の人生であり、他の誰も代わりにその人生を生きることは出来ないからです。
ノンフィクション小説や映画で、断片的に触れることはできるでしょう。
それでも、その人生全てを知ることはその人以外出来ないのです。
安達祐実さんの代表作「家なき子」での台詞を覚えていらっしゃるでしょうか。
「同情するなら金をくれ」
いっけん拝金主義的な台詞ですが、主人公スズは同情する側の心理というものを、嫌というほど感じ取っていたのではないかと推測します。
そこには、優越感や哀れみ、自分でなくてよかったという安堵感、見世物を見るような目。
これは劇中に登場する大人達に限ったことではなく、私たちも普段何気なくしてしまっていることでもあります。
THE YELLOW MONKEYの曲「JAM」にこのような一節があります。
外国で飛行機が墜ちました
ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」
「いませんでした」
「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう
僕は何て言えばいいんだろう
※著作権侵害はしたくないので一部のみ引用します。
この歌詞と似たようなことを、私達は繰り返しながら生きています。
ニュースキャスターの心理も、それに違和感を抱く心理も、どちらが正解か不正解かと計れるものではありません。
また、どちらもが責められるものではありません。
いま私達が生きている世界では、その行いに対して裁きを受けることはあっても、どのように感じるかで他人を裁くことなど出来ないのです。
加えて、世の中で起こる悲しい出来事全てに想いを向けることも、自分が身代わりになることも出来ません。
非情かもしれませんが、それで良いのです。
私達は自分の人生を生きていかねばならないのですから。