マリノスとプレビューと私
白い部屋に白いベッド。風で膨らむ白いカーテン。
外から聞こえる子供達の声と薬品の匂い。扉を開けると、あまり好きにはなれない空間に、白髪の老齢の男性は眠っていた。
彼は、私とマリノス(厳密に言えば、日産自動車サッカー部)とを結びつけたジュニアサッカー時代の恩師。
持病が思わしくなく入院したとの報せを聞いて、マリノスが2018年の残留争いの渦中にいる中、時間を作ってお会いしに行った。
ベッドに向かうまでの私の足音で目を覚まし、低く優しく『あぁ、お前か』と弱々しく声を絞りだしてくれた。
『ご無沙汰しております』
と返すのが、私は精いっぱいだった。
入室した刹那、彼との最後の会話になる事を理解したからだ。涙がこぼれそうで、私は続ける言葉が出てこず、しばらくの間、開いた窓から聞こえる子供の声だけが、白い部屋をいっぱいにしていた。出会った頃の様な音の群れ。
『まだ、マリノスは見ているのか?』
空気を察して、彼から声をかけてくれた。『はい』と短く返答をすると、ニッコリ笑う。
『いろんなサッカーをちゃんと見ているか?日本の課題を認識するには、全部の年齢を出来るだけ幅広く見るんだぞ』
と、もう何度も聞かされた話をし始める。
『もうプレーは無理か・・・。この先、サッカーに関わる気はないのか?仕事をしながらでもコーチは出来るし、今なら発信は簡単に出来るのだから、ブログとかで良いから、見る以外の方法で関与しつづけた方が良いぞ』
ジュニアサッカー時代では、プレーの選択肢をいくつも提示して、指導をしてくれた彼らしい言葉に、思わず笑みがこぼれた。
発信すると言っても、何を書けば良いか分からないと伝えると、何でも良いが、分析タイプだからプロチームの分析を書けという。さらに彼は続ける。
『サッカーの記事を書くなら、レビューじゃないぞ、プレビューだ』
彼は言う。
起きた事を解説するよりも、起きる事を予測出来るように試合を見なさいという事を。
1試合の情報だけで出す結論よりも、いくつもの試合を見た上で結論を出す習慣をつけなさいという事を。
何よりも自分の観点がズレているかどうかが、よく分かるという事を。
他にもいろいろ言ってくれたと思うが、言葉として印象が深かったので、これらは良く覚えている。
その後も、話すのはサッカーの話ばかり。二人になると、いつも話すリベロの話や、あの試合の時はこういう事を言えば良かったという後悔、最近注目しているチームの話、そして最後には必ず、主体性を持ったチームはどうやって作れば良いかという話。
難しい言葉を使うわけではないが、考えさせる言葉を選択する事が多い彼は、決してジュニアサッカーに向いている性格ではなかった。でも、子供の頃から何でも考えてしまう私との相性は良かったのだ。
まるで師弟関係に戻った様な気分になって嬉しくなり、最後には、
『じゃあ、書いてみるよプレビュー』
と、言ってしまった。
その言葉を発した時の嬉しそうな顔が、忘れられない。
彼が亡くなったのは、この会話の1ヶ月後だ。マリノスは残留を決めた。
クライフを愛し、攻撃的な日産サッカーを愛した彼。その彼に連れられてマリノスを見に行った私は、彼の言葉を受け取って、休眠していたnoteを使い、2019年からマリノスのプレビューを書き始めた。
つぶやく事がなかったTwitterでつぶやき始めた。毎回、ドキドキしながら投稿をしている。今でもだ。
シーズンが進むごとに、プレビューは形を少しずつ変え、自分の成長のために書いていたものから、誰かに届けるためのものに変わった。自分が意図をしていたものとは、違う意味を持ったのだ。それを受けて、読んだ人がこの試合は勝てると思える内容のプレビューにしていった。
不思議と内容を変質させていく事で、いつも読んでいたブロガーの発信者の方々とも接する機会が出来た。
今シーズンのマリノスの成長と一緒で、とてもエモーショナルな体験だ。
2019年シーズンのプレビューも、あと1回。
プレビューを始めた頃にひとつの想像をした。
33節分を書き終えた時に見えるのは、頂上から見える景色という想像。
それが、現実のものになろうとしている。
彼と2人で散々話した主体性を持ったチームとして、マリノスがそこに行こうとしている。
彼にもこの景色は見えるだろうか。