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佃から巣鴨へ
鬼平の造った石川島人足寄場が時代を経てどのようにトランスフォームしてゆくのか追いかけようと思い立ち、寄場が移転したという池袋へ。
スイカを首からぶら下げ、山から降りてくるのも手際よくなったと感じるこの頃。
1790年にできた石川島人足寄場(現東京都中央区佃付近にあったとされる)は、鬼平の時代からおよそ百年を経て1895年に巣鴨(現東京都豊島区巣鴨)に移転。何度かの改称の末、巣鴨刑務所と呼ばれるようになった。1923年の関東大震災では多大な被害を受け、東京都府中市へ移転し、跡地には、1937年市谷刑務所が建造され東京拘置所と称された。そして更に1978年にはサンシャイン60が建ち替わった、というのがざっくりした沿革。(府中刑務所 - 施設の沿革 - わかりやすく解説 Weblio辞書を参考)
夏至は昨日だった。蒸し暑いが、もともと南国育ちのわしには応えん。それより、池袋は昔飲み食いに行った程度で、土地勘がなく迷わないか心配。普段田舎にいるもので、雑踏の中に投げ込まれると、溺れるような気がしてくる。
池袋駅を這いあがるようにして出て来た。すでに死にそう。見上げると林立する高層ビル群。
都市高の下、高層ビルの間にサンにシャイン60が建っていた。
中に入ると、オフィスエリアと商業エリアに分かれていて、激しく腹の減ったわしは、なんでもいいから食べようと思ったのだが、土曜の昼、どのレストランの前でも、けっこうな数の人が腰掛けて順番待ちをしていた。わしは食事をあきらめ一階を散策がてら歩き回った。よその商業ビルと変わらない。きれいで人も多い。あたりまえだ。
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鬼平を追いかけてきたのであるから、そこが商業ビルに変貌していたとしても、目的地に来られたことはうれしい。
オフィスとショッピングモールの複合施設云々と、明るい面が顕わにされればされるほど、ひねくれもんのわしは、かつてここにあった刑務所のことを思った。むろん、移転や古い建物を取り壊してビルを建てるのが悪いなんて言ってないぞ。
サンシャイン60に隣接する東池袋中央公園の奥に慰霊の碑があり、東京裁判で有罪判決を受けた61名の方の刑が執行された場所と聞いた。
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足を運んだ。
碑には花やお酒が供えられてあり、陽光が落ちていた。たばこを吸ってるおっさんがいて、わしが写真を撮ろうとしたら、じゃまにならないよう石碑の後ろにかがんでくれた。
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昔の巣鴨刑務所のあったところにサンシャイン60が建っているなど、周知の事実だが、最近知ったことが恥ずかしい。
鬼平を追いかけただけでも、ひとつひとつの場所に歴史の痕跡が残っていて、それをつなげると軸なるものが出てくるんやなーと思ったり。その軸は、これからに繋がるんやろうなと思ったり。。。
さて、やはりすさまじく腹が減っていた。帰りがけ、わしはサンシャイン通りのとある蕎麦屋に飛び込むようにはいった。
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