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ジャパンオリジナルデザインとは? その答えがここに! ~デラックス誕生秘話②
皆さん、お疲れ様です!ラッキーウッドの小林です。
イチゴスプーンの続き、ラッキーウッド・デラックス誕生秘話その②です。
1950年後半、日本はアメリカより経済制裁を受けるほど大きくなった模倣問題の対策として、通産省が意識向上のため「Gマーク制度」を開始。
オリジナルデザインを進めた企業をほめたたえる、啓もう活動でした。
それと同時に「オリジナルデザインとは何ぞや?」との問いに応えるべく「産業工芸試験所」(今の工業技術センターの前身)という施設にて、1業種に1デザイン、オリジナルデザインを提供していたのです。
自由に使用して良いとしましたが、ラジオ製品で、同じデザインで品質や価格の違う製品が市場に出て混乱し、短命だったことを受け、次の「金属洋食器」からは1社に任せようという事になりました。
アメリカの経済制裁を日本国を代表して一手に引き受けた、問題の「金属洋食器」業界でしたから、おそらく注目度が大きかったことが予想され、失敗を出来るだけ回避しなければならなかったと思われます。
ついては、業界に1社の推薦を依頼。国も独自に調査した結果、なんと両方から「小林工業」の名前があがったのです!
当時デザイン探しに奔走していた、4代目小林正一の苦労が報われた瞬間でした。
あの、どぶに捨てたと言い放った「300万 (今の金額で2000~3000万) 」が、彼を救ったのです。
無駄ではなかったのです・・(涙)
それと、それ以前から、新素材として紹介されていた「18-8ステンレス」の試作をし続けていたことが、おそらく業界からの推薦につながったと考えられます。
その新素材は、今までのステンレスよりは加工性が格段と良いくせに、つぶして金型の中で広がった直後に硬化するため、最初金型をバカバカ割りまくり、手に負えないものでした。「加工硬化」という性質の度合いが、ステンレスの中でも一番大きいからでした。当社はそれをあきらめずに、何百何千と金型を割りながら、試作を繰り返していたのです。
いつか、出会う「デザイン」のために・・
のちの「デラックス」となる、手書きのラフ図は、当時の産業工芸試験所の「芳武茂介」氏率いる意匠チームによる作品でした。
(その頃は、デザインのことを「意匠」と呼んでいました。特許庁の意匠登録で聞きますね。)
後に「クラフト」という言葉を日本に定着させた芳武氏は、工芸・金工のご出身。何よりも日常使用の道具として日本人が使いやすくて、日本人が美しいと思うものをという発想からの提案でした。
「探していたのはこれだったのか!」
手書きのラフ図を見て、一瞬で腑に落ちた4代目は、このデザインに社運を賭け、全力を注ぎ、怒涛の開発を行います。
まず、このデザインの造形を実現するために必要な、「18-8ステンレス材」を加工する技術をついにものにし、金型を作成。
やっと出来たサンプルを、従業員とその家族も含め、日本人500人にモニターしてもらい、手に痛い、使いにくい等不具合あれば直接金型を削って調整し、再試作し再モニターを繰り返し、それにかけること1年。
1960年 (昭和35年) に、ついに製品が完成します。
ところが、最初18-8製でデビューしたのですが、翌年、高級カトラリー専用に日本で開発された「18-10ステンレス」材が完成すると、
市場にやっと並んだ18-8製品を全て買い取って引上げ、
翌1961年 (昭和36年) に18-10製で再デビューします。
私は、昭和36年生まれなので、父からは「お前はデラックスと同じ年に生まれた」と聞いて育ちましたが、実はその1年前に誕生していたのです。
真面目な父が、うそをついていたことを後で知って少しショックでしたが、
その時引き揚げた18-8製品はその後30年以上、倉庫に眠ったままでした。とても大きな損失だったと思われます。が、同時にこのデザインに賭け、これにより最速で最高のブランド構築を目指す、4代目の覚悟と本気度の凄さが感じられるのです。
そして、それ以前がいかに崖っぷちだったかも伝わるのです。
「デラックス」はその頃のカトラリーの標準価格より高く、ステンレスの高級カトラリーは、この時に日本で生まれた新しいジャンルだったため、
当時、「価格の正統性=市場性」が審査基準に入っていたグッドデザイン賞に選定されるのは、その5年後の1966年となります。
日本市場に受け入れられ実績が評価されてからの受賞となりました。
(賞状が横で見づらくてすみません。古すぎて、もはや「G」も見えません)
「デラックス」は、日本人による日本人のためのジャパンオリジナルデザインの草分け。
ことのつまり、
世界のだれも日本人のためのカトラリーなんて作ってはくれませんでした。
誰に使ってもらうための道具なのか。
それは一体誰が、その思いを込めて作るのか。
それこそが、「オリジナルデザインとは何か?」の答えだったのです。
「デラックス」のお陰で、「日本市場」と言う、新たなルートを開拓できた「ラッキーウッド」のブランドは、
やっと本来の役割を見つけたのでした・・涙。 (その③に続く)