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「テレビくん、ありがとう」
わたしの情報源の9割はラジオです。テレビは10年前に捨てました。生まれも育ちもテレビ全盛の“テレビ世代”です。学んだことも多々ありましたが、有害になる情報の方が多いので、捨てました。
テレビが無い生活って「とても楽」なんです。本当に清々しい気持ちで過ごせるのです。「いま野菜が高騰している」とテレビでアナウンサーが喋ると、スーパーでの買い出し模様は必死の形相のお母さんたちと格闘が待っています。
憂鬱にさせる情報がなければ、「今日はネギが高いから買うのやめよう」となり、至って平穏に過ごせます。
わたしは田舎に住んでいますが、週一くらいで都市部へ仕事の打ち合わせで行きます。小さなスタジオのテレビはいつも点けっぱなしです。誰も見ていません。仕方なくそのテレビの前に座って見ることがありますが、10分でダウンします。理由は「ネガティブな情報」にノックアウトされるからです。
確かにご時世的に“コロナ”関連のニュースは必須ですが、あまりにも「絶望的」あるいは「世紀末」すぎて、許容できないのです。
ニュース番組のトップで「昨日のコロナ感染者数は100人、死亡者数は50人」などが連呼される日々で暮らすことは、わたしの精神が破壊されていくような気がします。ですから、テレビのない自宅へ帰るとホッとします。
わたしは子ども時代、テレビから多大な影響を受けて育ちました。映画、ドラマ、クイズ、歌、旅行紀行番組が好きでした。もちろん、お笑いも好きでした。これらはわたしの人格形成に良い方向に貢献したと思っています。
テレビから享受するのは「楽しむ」「笑う」もありますが、一番は「学ぶ」ことだと思っています。
つまりわたしがテレビを捨てた一番の理由は「学ぶ」番組がなくなったからです。
人の揚げ足を取るのならまだ許せますが、「他者の間違いや欠点を指摘」して笑いを取ったり、「悪口放題」して自慢気な顔をする出演者の教養の乏しさに嫌気が差しました。
特に朝からずっと日中に渡って帯を持っているワイドショーには辟易したものです。
放送局的にはNHKを一番見ました。まだまともだった気がしますが、最近は民放で経験を積んだディレクターを受け入れているらしく、「学び」が減っているとのこと。
さて、わたしとしてはこのままテレビが斜陽化産業ロード真っしぐらを期待しています。
ただ、いまとても悩んでいます。「オリンピックを見たい」のです。
ネットでも見ることが可能ですが、わたしの田舎の回線は遅いのです。絶対に“生”で見たいのです。
わたしの電話はワンセグ付きのガラケーですが、小さすぎて臨場感が伝わってきません。
水泳の池江璃花子選手が好きなので、応援したいのですが、水泳ってレーンが8つくらいあるじゃあないですか。ガラケーの画面だと何もわからないくらい小さいのです。悲しくなります。
この際、一時的に中古のテレビを買おうかと苦心しましたが、絶対に「買わない」と決意を新たにしました。
オリンピックが開催されたら近くのマンガ喫茶へ通うことにします。
若者が活躍するオリンピックは、明るく、楽しく、元気なエネルギーに溢れています。見ているわたしたちの心に「希望の光」を与えてくれます。
『夢費用対効果(ゆめひようたいこうか)』ってあると思うのです。
オリンピックを見た子どもたちに大きな影響を与えると思います。子どもたちが成長した時の波及効果って計り知れないと思うのです。
日本にとって大きなエネルギー産み出すと思います。
「オリンピック反対」を連呼する人たちは「反対論が正義」を盾に”良い人アピール”に夢中ですが、結局は保身であり、未来の子どもたちの可能性を考えていないと思います。
いつかポジティブな情報だけが流れる時代になったらテレビと再会したいですね。「テレビくん、ありがとう」