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5月某日

昨夜は飲み会だった。

前日の日帰り静岡出張の疲れが取れないまま、今日は一次会で帰るぞという決意は早々に崩れた。

ちなみに昨日、ほとんど出張のメインイベントに成り変わってたさわやかは20分ばかしの休息で、上司たちはもっと早く、125gを押し込むような形で平らげた。さわやかに申し訳ない。
待ち時間に隣にあった八百屋でスルガ甘夏という、文旦と甘夏のあいのこを購入した。
車で移動するって便利だなと、こういう時思う。

飲み会は、結局3件回り、家に帰り着いたところを踵を返し上司が参加していた別の飲み会に合流した。

飲み会の時は何かいい事がないかと期待し長居してしまう。この何かとは会話の中で棚ぼた的な嬉しいことを聞きたいという欲望のこと。

昨夜は話してみたいと思っていた人と帰り道が同じでゆっくりと話ができたことだろうか。

飲み会前にR-1とヘパリーゼ(錠剤)を仕込み、寝不足と頭痛はあったものの記憶が残っていて安心する。

料理はいわなの丸焼きが出てきて感激だった。
散々美味しいものを出してもらって、最後のデザートがピノのアソートパック、そのままだったのがまたさらに良かった。

昼過ぎまで惰眠を貪り、このままでは流石にまずいぞと思い起き上がる。
風呂と洗濯を済ませ、自転車を取りに行き、食料を調達しに出かける。

なんとなく、もういいかなという気持ちになって、好きな人に連絡をしなかった。

最近は一度別れた男女のような清々しさがあった。
それは、悲しくない別れのための準備だったのかもしれない。

根こそぎ気持ちが移ろっていくのを懐かしい気持ちで苦い顔をして見届ける。
もともと周囲に打ち明けていない関係は、二人の間で終われば最初から無かったことのようになる。
更地に一人取り残されて、私はいつも寂しい。

いつも思っている。ちょうどいいタイミングでいなくなりたい。
いま人生が止まれば、最後に好きになったのがあなたでいい人生だったと言い切る事ができるのに。

人生が進まない。

この間、図書館でなんとなく手に取った江國香織の短編集。

恋愛に重きを置く、女性がしなやかできざな物語には同族嫌悪に似た感情で進んでは手に取ってこなかったけれど、自分のこの、大切で希少だと思っていた恋も、よくある話だという事をよく分からせてくれて、気持ちが軽くなった。

江國香織といえば教科書に載っていた「デューク」のアイスクリームの描写が好きだった。
長編であれば「落下する夕方」。華子のような生き様を夢みる。
今よりずっと多感だった高校生の時分に読んでよかったのか、疑問を抱き続けて、想い続けている。

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