6月ある日
涼しく心地のいい朝。
目の覚まし方がわからないなと朧げに思う。それでも起き上がる。会社員だから。
じわじわ体重が増えている。原因は明確だ。何てことはない。加減の仕方も分かっている。あとは実践するだけなんだな。
朝、身支度をしながらpodcastで『となりの雑談』を聞く。
いつもリピートして2度聞く。サクちゃんとスーさんの間で、二人の感覚を交互にシーソーを漕ぐように聞いているから、うっかりすると聞き逃すのだ。
話の中で、例えとして物書きを目指す人についての話題が上がり、集中して聞く。本当に書く人というのは、他人の評価など以前に書かずにはいられない人だという言葉を聞く。
私は今この書かずにはいられないをじわじわと体感していて、実践し始めている。物書きになれる才能があるのかどうかは悲しきかな別としても、俺に書かせろと割と常々思っている。
少し前までは恥ずかしいとか、評価されるという事が前面に出ていたけれど、ここに来て若さという羞恥をとっぱらったように思う。
自分のために書くので見たかったら(ぜひ)見ていってください、あとはよしなに。という感情の方が勝ってきた。
もちろん文章に対して全ての恥じらいを手放したわけではないけれど、最近肩が軽いのは事実。30歳を過ぎて、自由になったなと感じることが増えた。
奇遇にも幼馴染とそんな話をする。
仕事は着々と済ませ、遊ぶような感覚で夏祭り用に準備するうちわの話をしたり、合宿&送別会の下準備をしたりする。
何よりも人を誘う事に緊張する。その段階の終わりが見えてきて安心する。ここからようやく決めるという段階に入ることができる。
ふと、車を買いたい熱が沸る。合宿&送別会も、私が運転ができれば色々とスムーズになる気がするし、やっぱり行動範囲が桁違いに広がるのは魅力的だ。
中古の古い車を品定めして、引っ越しか車かの二択でやや劣勢だった車の選択肢が追い上げてくる。
どうしよう、車に乗っている自分が想像できてきてしまった。バックでの駐車だけはいまだにうまく想像できない。(教習所でも落ちた)
夕方、風が強い。
ビュンビュンと自転車を漕いで、どこからともなく流れ飛んできた蜘蛛の巣が顔にかかる。
朝は、隣の自転車との間に毎日作られる蜘蛛の巣を解き、会社に到着したらまた別の蜘蛛の巣を顔面に受けて1日が始まる。初夏の風物詩、蜘蛛の巣。