4月某日
2日間、好きな人にめいっぱい遊んでもらう。
待ち合わせた場所の近く、通りがかった骨董市で小さな陶器の猫を買ってもらう。Googleアースのカメラで上手く撮影できずに溶けたように写っている猫みたいだ。とけちゃんと名付ける。
顔を見て、同じ景色を見て話す喜びを噛み締めながら笑う。
東京の街は楽しい。街によって雰囲気ががらりと変わる。
街を歩きながら、好きな人は東京が好きだと言う。そういう時、なぜだかいつも寂しくなる。
帰り際、新宿ベルクへの道すがら、すれ違った宗教の勧誘を通り過ぎた時、好きな人は、宗教に入信すれば生きるの楽になるんかな、と言った。
好きな人から、そういう、人生に対して翳りのある言葉が発せられると私はとても動揺する。
言葉、音、匂い、温度、全ての情景が、ピンを立てるように焼きつくことがある。私のこれからの人生に、好きな人が焼きつく。人生が15分だとしたら、春は15分、と入る高階杞一の詩があって、彼とのことは全てこの春の記憶なのだ。
春夏秋冬ではない、冬を超えてやってきた春。
私は泣き出しそうで、おどけて返してしまった。どうかこの先、この人が辛い思いをなるべくしませんようにと祈る。
寂しさと眠気にあてられながらぼーっと電車の中で過ごす。次の約束はしなかった。涙で体がぱつぱつしていた。家に帰りつき湯船に入り少し泣く。喉の奥が狭まり小さく声が出る。
今日の日記は、とても時間がかかった。この記憶をできるだけ溢したくない。
西荻窪にある街の本屋、今野書店に立ち寄るようにしていて、絵本棚に和田誠氏の『いちねんせい』を見つけ、やはりと信頼が増した。
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