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6月ある日

歯痛が治ったかもしれない。

恐る恐る上下の歯をカチカチと噛み合わせては、響くような痛みがないことを確認して、代わりにじわじわと喜びが湧いてくる。
咄嗟にくしゃみをして奥歯をガツンと噛み合わせても、涙が出るような激痛が走らない。
心に春が来たようだ。よく噛むことがもはやアイデンティティの私が戻ってきた!

体調不良は一週間様子を見ると落ち着くんだな。また人生を学んでしまった。
かと思えば口唇ヘルペスの気配。何なんだ。大体において口腔トラブルに見舞われている我が人生。

上司が出張から帰ってきた。
朝一番にお土産を渡してくれる。オランダで買ったミッフィのトートバッグ。
有名なブックデザイナーが手がけたデザインで、ひとしきりお礼を述べたが、持ち手が太くこれは使いやすそうとつい実用的な点ばかり挙げてしまった。
使うつもりに溢れているということが伝わったらいいけれど。

昨日買ったジャスミンのいい匂いがするオイルを気に入ってペタペタと髪につけ過ぎ、頭を洗っていない人の様相で1日過ごす。
自ら言い訳する場面もないし、何だか照れ臭い。しかしいい匂い。
ヘアオイルは新しいものを買うたびに仲良くなるまでに時間がかかる。

歯に遠慮せずに食事が摂れる事を文字通り噛み締める。
しかしまだ油断は禁物だとこの一週間で学んだから、昼食は遠慮がちに噛む。
明日痛みがなければ先週もらったラスクのお菓子を思いっきり噛んでやる。

上司が帰ってきて気が抜けたのか、ダラダラと意識を飛ばしながら仕事をしてしまう。
いかんいかんとは思いつつ、一ヶ月後に設定した泊まりがけの送別会のことばかり考えてしまう。
そういえば、家族の中では私は楽しい思いつきをする役割だったのだ。
それをえいやと実行できなくなったのは、それなりに面倒臭いからか、怖いからなのか。

最近、自分の言葉のレパートリーに少し不安になる。
違う文法や語彙を使う人と話していなさすぎるし、本も読んでいないからか、表現に偏りを感じる。
好きなものばかりを集めやすくなったけれど、違和にも義務感を持って触れなければ、古く固くなってしまう気がする。

カゴのバイト先に来月のシフト希望を送る。
間髪入れず、休み希望の日に出勤できないかと打診を受ける。
その日は先に書いた送別会を決行する予定日で、しかし作家さんが在店するするから可能であれば、というその誘いは面白そうで、どうにか二兎を得ようと自動的に思考を巡らせる。

けれど、おもろい方に飛びついたり、欲張ってどちらも得ようとする事について、最近は立ち止まってきちんと考えるようにしている。

去年末、朝出勤すると他部署で東京の営業所へ荷物を送り忘れたことが発覚し、上司に行く?と聞かれてとっさに行くと答えた。
私はイレギュラーな仕事にワクワクするたちで、しかも隙あらば東京に行きたがる。
上司はその性質をよく分かっていて声をかけてくれた。

しかしその日は好きな人と約束をしていて、東京に行けばどんなにとんぼ帰りをしても定時で帰るより遅くなる。

その時、私はおもろいだけで物事を選ぼうとした。
そういう自分が怖くなって、けれど思い返せば今までも割とそうしてきたんだと思う。

結局、時間が合わず私が東京に行くことはなかったけど、はたとだから自分は結局ひとりなんだなあと思うに至った。

夜、その事を好きな人に話したら、そういう人が好きだとは言っていたけれど自分自身はそんな時、すぐに断ると言ってた。

思えば私は、人にあまりそうされたことがないのに自分はそうしてしまってばっかりだ。
ひとりでも自分の人生を満たすためにおもろいと感じた方を選ぶ。
それが私の生き抜き方なんだとは思うけど、もしかしてそれは虚しいんじゃないんか。
いち人生として、無自覚に心の底では誰も求めていないんじゃないか、だから約束事にひつも腰が引けるんじゃないかと空恐ろしくなった。

今回は、眩く愛おしい同僚と過ごせる最後の機会だ。めいっぱい見送る日にしようと決めた。
きちんと辞退しよう。

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