4月2日(火)
毎朝起き抜けに体重計に乗る。
今朝は昨夜風呂上がりに測った体重から微増していることに納得がいかなかった。
年始にコロナにかかり、その時に体重が落ちたことを神様がくれた最後のチャンスだと捉えて目下ダイエットに励んでいる。
運動部だった学生が引退後も同じ食生活を続けて太ったというのを聞くけれど、学生であればそれは太ったうちには入らないんじゃないか、太るというのは大人のための表現ではないかと当事者になって思う。
とにかく、激務の書店勤めからデスクワークの、三食+間食をきっちり摂ることができる生活を2年続けて、それまで見たことのなかった数字を叩き出した。
いや、正確には夜ご飯が夜ご飯らしい時間に食べられる喜びを噛み締めすぎて、越してきて3か月後にはあれれと思い、そのまま横ばい、もしくはプラスの一途を辿っていたのだ。
このままではいけないと思うも、善処する程度では動かないのが真の大人というもの。
もうこのまま成長もしないのに成長曲線を右肩上がりにしていく人生なのかと気持ちだけいつもげっそりしていたところにやってきたコロナ罹患。
嗅覚と味覚が効かない期間が一ヶ月ほど続いたことも手伝って、こちらに越してくる前の体重まで戻った。
それにしても大学生くらいまでは微動だにしなかった体重が、今や5、600g変動するのは当たり前で人体の不思議だなと思う。
そしてその度に小学生の頃地元の美術館にやってきた人体の不思議展のテレビコマーシャルが脳内を駆け巡る。人体、本当によく出来ている。
ぱつぱつに膨らんだ気がする体を起こし、眠気が取れない体で一日を終えた。
午前の仕事をひと段落終えて、トイレのタイミングで靴下を脱いで昨夜足の指に塗ったマニュキアの出来を確かめる。
家は明るさが足りないのか照明が電球色だからなのか色やアラが分かりづらいのだ。
いい色でいい塩梅に塗れており満足。嬉しくて午後にもう一度靴下を脱いだ。
同い年の数ヶ月早く会社に入った同僚にお子さんが生まれたとのことで、絵本を贈る。
先週洗い場で各々弁当箱を洗っているときについ3日前に子どもが産まれたのだと告げられ、
それとなく耳にはしていたものの、第三者としては驚くほどののスピード感で喜びのかたまりが誕生していて、危うく生唾を飲み沈黙を醸し出すところだった。
どうしたって喜びが滲み出てしまうんだというような表情の同僚に、ひとしきりきゃあきゃあとお祝いの言葉を述べた後で、こんな風に報告ができる同僚をとても快く思った。
もし私が同僚の立場だったら、相手の事情を妄想し、気にしすぎて同僚のように報告はできないだろう。
報告してもいいと思ってもらえたことがどことなく嬉しい。
帰り道に寄ったスーパーで買ったチョコレート菓子をつまみながら雑なカレーを作る。
風味の少ないチョコレート菓子は危険だ。
風味を探しながら食べているうちに手が伸びてしまう。
カレーは切って冷凍しておいた野菜やきのこを凍ったままあれこれ鍋に投入し、パウダー状のルウで味付けしたシロモノで味見すらしない。
空腹とカレー欲、栄養価を満たすだけの食べ物だ。これを大体3日程食べ続ける。
もし知人が腹を空かせて訪ねてきても、とても出すことができない。
そんなものばかりを作ってはひとりで鍋を空ける日々で、もうちゃんとしたご飯なんて作れないのではないかと空恐ろしく思いながら、鍋を空ける日々だ。
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