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12/20 センチメンタル、食い意地冬の旅

夜行バスは3列シートで、くるまって眠った。私は骨壷にもうまく入れるんじゃないかと思う。

6:30大阪着。今日は懐古のために大阪を消費しにきた。センチメンタルな旅・冬の旅だ。阪急三番街に降り立ち、もうすでに懐かしいと思うから記憶はすごいし、6:30から開いてるYCもマクドもえらい。都会は7時前でも街が機能しているんだな。

それにしても寒くない。長野の室温くらいの外気温。もちろん手袋は必要ない。着込みすぎかと思ったが、暑さでぐったりすることもなく過ごす事ができた。

歩いてみると大阪駅が拡張しまくっていた。いつ終わるんだ、何ができるんだと思っていたらまだ商業施設が建つのか!と。道っていきなりできるんだなあと感心する。

今日の目的地は南大阪。
母の出身地で、祖父母がかつて住んでいた藤井寺。大学の頃の思い出もある。
今回は本を作るための取材旅行としてやって来た。何が思い出せるだろうか、と思ったら思い出したことも真新しく受け取ったこともあった。
いくつかの電車に乗りながら、写真を撮ったり考えを巡らせたりととても自由な時間だった。

天王寺、あべの、針中野を経由して藤井寺へ。藤井寺では懐かしい、かつて祖父がいつも用意してくれていた焼き豚を買う。
母の誕生日だしということで現在住んでいる岡山にも送る。
配送伝票、送り先は岡山で送り主(私の住所)は長野で、お店の人がさぞ不思議だろうと思い、簡単な経緯を話した。
お店の人も私も、どちらもそんなに雑談が得意ではなく、あらーとか、うふふーとか言って乗り切った。
それでも、最近はお店の人や作った人に出会えた時は思いを伝える練習中だ。

大学へ。
卒業して以来の訪問で、ああこんな感じだったなと思いながら歩く。あたらしい建物が建っていて驚く。
3、4回生の時にひとりで登校した時みたいな感覚になって、誰か知り合いがいるんじゃないかという気分になる。
歩いてみると、学生時代に行き来していた場所はおそらく敷地の三分の一くらいしかなくて、入ったことのない、どの学科の建物かも分からない事さえあった。
場所を見るたびにあの人がああしていた場所、というの思い出されて、ああ私は本当に、目の前にいる人達のことしか見ていなかったんだなと思う。

お腹を膨らませないよう気をつけながら学食へ。
唐突に嫌な予感がして、次の目的地である奈良の郡山にある本屋のInstagramを見ると臨時休業の文字。
嘘お、という気持ちと、はいはいやっぱりね!!という気持ちが同時にやって来た。何も今日、というタイミングで臨時休業を引き当てる事がまあ多い。

多少引きずったものの、奈良に向かう前に分かって良かった!これぞお家芸!と自分を励ます。時間ギリギリかと思われたタイムスケジュールががばっと空いて気が抜ける。

そこから一気にゆったりとした動きになった。そもそも寝不足だ。その割には元気だったけれど。

阿倍野に戻りたこ焼きを食べる。
梅田に戻り慣れ親しんだ商業施設を冷やかして回る。

何時に電車に乗ろうかと考えつつ、選択肢が多くて決めきれない。ようやく新大阪に着いて、夕食に悩む。
さっきたこ焼きを食べたけど、満足できずだったのでリベンジたこ焼きか?でもカルネも柿の葉寿司も買いたいしなと思い、たこ焼きを見送り改札を抜ける。
売店で望み通りにカルネと柿の葉寿司、ビールにいか焼きを買う。
ちょこちょこと小さいサイズのものを買って満足だ。明日のごはんにしよう。

新幹線に乗り込む。一本見送ったら、乗り継ぎの特急にギリギリ間に合わない到着時間でがっかりする。
新幹線や電車でまとまった時間他人と居合わせると、ちょっとした仲間意識を抱いてしまう。
私は基本マインドがいわゆる大阪のオバチャンなので、新幹線などで多少言葉を交わした隣人にお菓子とかカルネとか柿の葉寿司あげたくなってしまう。
3人席、真ん中は外国からの大きなキャリーケースを2つ携えた人で終始恐縮そうで、オーケーオーケーとすすんで足ストッパーを貸し出す。

こういう時、誰かがご飯を食べはじめるとみな堰を切るように銘々準備したごはんを食べ始める瞬間が好きだ。今回は私がビールを開けた。
すると窓側の席のギャルが551食べ出した。いいぞ、もっとやれ。と心の中で発破をかける。
しかしこれ、うら若きギャルだから許されているフシ、結構あるなと思い直すほど551を密室空間で食べるのはリスキーな行為であると再認識する。

名古屋に着き、電車は1時間後で、どうせならと山本家総本店で味噌煮込みうどんをかき込む。センチメンタルな旅のはずが、やはり最後は食い意地で畳みかける。十分に味わえたとは言えないスピードでスタンプラリーでスタンプを得るように食べ終えてしまった。
お酒を買って特急電車に乗り込む。(すでに3杯目だ)

私はこの、名古屋↔︎長野間の特急電車があまり好きでなく、今日は鈍行で戻るのもアリだな、と思ったが、結局は時間をお金で買ったかたちになる。

今年のクリスマスは誰と喜びを分かち合うでもない、集まりもなく、疲れてもいない自分を労いくらいしかお金の使い所がない。(使わなくてもいいのだけど、そうはいかないのが年の瀬感と意志の弱さ)

体は揺られ、また氷点下の地へと戻っていく。

大阪に住んでいた頃があってよかったなと思う。
そして今、その場所を都合のいい遊び相手のように扱っているのは、まだその土地(特に職場)で闘うようにい続ける人にとっていい気分がするものではないかもしれないけれど、自分のために見ておかなければ、書き残しておきなければ、とどんどん変わっていく街と人を見て再認識した一日だった。

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