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『変人学』っていう学問があるのを知ってましたか?
僕は知りませんでした。
今日散歩中に知り、そういうのもあるんだと思いました。
正しくは変人類学と言うらしく、人類学(人間とは何かを追求する学問)の一つ。
世間一般からはみだしたいわゆる変人を研究することで、すべての人のなかに眠る「変」を見つめ、愉しみ、究極的にはある意味全人類変人化のようなものを目指すという学問のようです。(僕の理解が合ってればですが)
変人というと社会的にはすくなくとも「いいもの」として捉えられないことが多いと思いますが、あえてそうした『異質』『マイノリティ』な人たちの視点を学び、常識にとらわれないクリエイティブな発想を生み出す仕組みを作っていこうという話らしい。
面白い試み。
解説されているのは東京学芸大学准教授の小西公大先生。
配信のお話を聞くに、ご自身がインドでフィールドワークを行い、自分が社会的マイノリティになるという経験を肌でなさったことが、この研究を本格的にはじめるきっかけになったそうで、
人それぞれの違いを受け入れる、分断を恐れない人間社会の構築という理念が、この学びの根底にあるようです。
先生いわく、インドでは、全員が変であるという前提認識が根付いていて、勝ち負けを決めない議論というのもそこらへんで自然に起きるみたいですね。異質なものを排除しっぱなしではなく、時として異質なものに光を当てる、主役にするという文化があるらしい。
世間一般の俗に言う「ふつう」のことを、哲学でノモスと呼んだりするそうですが、先生は、ノモスとふつうの間を行ったり来たりする状態こそがいちばん人間にとって気持ちのいい循環を生むんじゃないかという考えだそうです。(凡変ミアン・ラプソディー)
変革が起きて→まとまって→変革が起きて→
というループができたら気持ちがいいはずだと。
人間て変化を恐れる生き物だとよく言いますし、実際怠け者なので、集団で居続けると必ず全員で頭がこり固まっていくんでしょうから、このような意識を多少でもみんなで持っておいたほうが会社組織なんかも風通しがいいのかもしれませんね。
さすがに、変人がそうしたからといってみんなで赤いスーツを着るのが普通とはなかなか成らないとは思いますが、
自他についてそういう変人意識を持っていられたら、みんなとは違うアイデア・試み・生き方をしている自分を、「恥ずかしい」とは思わずに済むのかもしれません。
「みんなで変人を見習おう」とはいかずとも、「みんなで変人に刺激をもらおう」くらいのつもりで生きられたら、確かに、自己肯定にも繋がっていくのかもしれない。
人はそもそも、多かれ少なかれ違っていて当たり前だと。
同じが当たり前ではなく、
変わってる人など居ないでもなく、
変わっていていい。
変わってる部分があってもいい。
変わり者が居たっていい。
変わっていても生きられる。
大前提としてその理解は大事なんだろうなぁ。
そうでないと、結局は自分が道をはずれたときに自分を苦しめることになるんだろうから。
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