本とアニメと婆ちゃんと…
本当は本屋さんへ出向き
紙(本)をペラペラとして本探しをしたいのですが、
こう寒いと外へ出る気も起こらず、ついつい後回しにしてしまう。
昨今、(場所によりけりだと思いますが…)世の中、本屋さんの数が減り私の偏った思考のせいなのか?
大概、その本屋さんの棚には私が求めている本など置いておらず、でも…私が探しきれていないだけなのだろうか?と、店員さんにお声掛けして探して貰うも『ああ…有りませんね!取り寄せに1週間かかります…』なんてことはしばしば。そうなると、結局、自分で頼んだ方が早いのか…と、なり例のあのお店を覗いたりするのである。
で、私が欲しい本を取り敢えずピックアップしてカートに入れると、とんでもない金額になる。
びっくりポンだ!(´⊙ω⊙`)!
やばいやばいそんな買える訳ないだろー!って、カートから1冊ずつ戻していく…その時、本のタイトルと内容書きを読んで1冊捨てる。又、読んでは1冊捨てる。で、結局最後は無くなってゼロになる。あれ?欲しかったんじゃ〜なかったっけ?てな具合いになるのである(笑)
例えば、『自然治癒力』の本が欲しいとする。
それを探す→タイトルを見る→タイトルから内容を推測する→カートに入れる→大まかな内容説明を読む→そして、カートから捨てる。
と、まあ、そんな感じなのである。
人の意見を読みたい欲求はあるのですが、
何故無くなっちゃうのだ?
よくよく考えてみたら…山ほどの本棚の本の中から、実際に自分の手で探し出していないからなのかもしれない。
別に内容説明を読んで、読んだ氣になっているとかでは決してなく、『自然治癒なんてそもそも備わっていると思っているし…別に改めて人の意見を求めなくてもよいか?』の感覚になるのである。
山ほどの本の中から、探し出すと本来自分が探していた本とは全く違う新たな出会いがある場合もある。それが楽しいのだ。意図していなかった人生の1冊に出逢えることもあるのだ。それが醍醐味なのです。その感覚を思い出すのだな…だから、買いきれないのか……
自然治癒力はそもそも有ると思っており、氣功の流れも大事、チャクラもあるのは分かっている。ネイチャーを求める人の氣持ちも分かります。…薬が苦手の感覚も…パワーストーンを持ちたくなる氣持ちも。パッと見た時の良し悪しの感覚も…身体に良いからコレを食べなさいと云われなくっても自然にそれ食べてますけど…とかね。
私には、普通なら、見えないものが見えると云うのがちょっとだけ幼少期の頃からあります。…幼少の頃は『これを今いったら家族怖がっちゃうかな?』なんて思いながら云えずにいたのを覚えています。何故そう思ったのか分かりませんが。大人だったのかもね、その時の私…笑
私にも家族ができ、父が亡くなり、母が亡くなり (2人共早かった)…そのうちその感覚は段々薄れていったのですが、きっと、日常の電磁波にやられちゃったのかな私? よく分からないですけど。そこは深堀りしないんで。でも、何かの折にたま〜に現れるんです。本当、たま〜に。…何か変な電波を受け取っちゃうんです。
昔のアニメも良いけれど今のだって
夏目友人帳を観たことはあるだろうか?(もの凄く唐突)
私は夏目友人帳が大好きで、本ではないのですが、アニメの方では通して観ております。
で、主人公、夏目は普通の方が見えないモノを受け取りやすい体質な男の子。その血は祖母から受け継いでおり…てな、感じのお話ですが、私のそれはそれとは違い、ハッキリ見える感覚ではなく、夏目のお友達、田沼君の感覚なのである。たま〜にハッキリ見えるけど、普段はそこに居るのはなんとなく分かるけど見えてない、みたいな…。(分かるかな?伝わる人には伝わっているのだと思いますが…)
だから、なんか薄れていってるんでしょうね……私だけではなく本来皆持っているものなのだと思いますけど、何かにやられてつむじ辺りにあるアンテナの感度がよろしく無くなっているんでしょう。
で、私はウン十年前に一時期、風水が好きになってしまった事があるのですが、『サッサッサー』と要点を自分なりに捉えて辞めてしまいました。何故って?毎日『無』になって掃除してたら『結局、要は掃除をして毎日綺麗に保て』って事だよね?と分かったからだ。本なんてもういいや、どこにどの色を取り入れれば良いかは、まるっと身体に入っている。風通しと水場を綺麗にする。なんてったって『風水』ってそもそも名乗ってるもんな〜。結局『大事なのはその年の吉方位で、方角なんだな』と感覚的に思いました。(でも、掃除は大切ですからね)
それが分かっているのに、かたや一方では、自分を自分で忙しくさせ、そこを疎かにしてしまった…(反省) ಥ_ಥ
稼いだら稼いだ分、人って欲深いから消費に走ります。ストレスを抱えたその分加速します。
目の前にある収入でやりくりすればいいじゃないか、入ってきた分でどうにかすればいいじゃないか。無駄を省けばいいじゃないか…その時は氣付きませんでした。でも今なら分かります。今どきの若い世代はその辺り丁寧に生活してなさる。本当尊敬するのである。
それと、色々と考えたら、昔のお母さんはやっぱり偉いです。
我が家を綺麗に保ちながら、ただ、ただ、旦那様と子供達の帰りを手料理をこしらえて待っていたのですから…
甘いのと辛いのどっちが好き?
我が家は、夏休みになると、父母双方の祖父母の家に数日泊まりに行くのが恒例だった。
母方の祖父母はまぁ〜まぁ〜甘い感じだったのだが、父方の祖母はそりゃ〜そりゃ〜厳しい婆ちゃんで、「起きたら布団は自分で上げること。その後は床を水拭き。それからじゃなきゃ御飯は食べられません!」と云うお方だった。最初のうちは「えーー!」となっていたが、そのうち何シーズンか繰り返しているうちに、『これはこれで悪くない。』と幼少ながらに思えてきたのだった。(その時まだルーティーンと云う言葉は知らない。) そして、掃除の極意として「真ん中はみんなゴロゴロするからどうでもいい!肝心なのは隅っこだ!端っこを綺麗に掃除するんだよ。そしたら綺麗に見えるから。」と教えてくれた。大人になっても忘れない言葉。『端っこを制すは全てを制す』そう云う事だね婆ちゃん!(あ、そ〜云えばオセロもそうだったね。) そんなこんなで私はど真ん中を歩まずに、マイナー路線の居心地の良さを知るのであった。
……そののち清掃業の仕事についた時その能力は如何なく発揮されたのだった。大事な事は、みんな婆ちゃんが教えてくれた。掃除だけじゃなくてね。
『ありがと〜婆ちゃん!』
2009年 細田守監督作品『サマーウォーズ』の映画で登場する婆ちゃんも良いこと云ってたな…。家族に宛てた手紙(遺言状) 『………一番いけないことは、お腹が空いている事と、ひとりでいる事だからね…』って…(かなり、端折っちゃいましたけど)
劇中、花札対決のシーンが出てくるのですが
私も婆ちゃんと花札よくやったな〜あの世界は子供だからって容赦はないのである。常に真剣勝負だった。毎度懐かしくなる場面だ。大事な事を思い出させてくれる一本である。この映画を見逃してしまった方は、是非是非ご覧あれ…
なんだか分からない感覚
-------なんだか分からないけど、部屋を整理したりとか、身体を整えたくなるとか、自然の中を歩きたい、何かと繋がりたい…地球はこのままでいいの? 全てを取りこぼさないよう、自分を整えて、風に吹き飛ばされないよう自分軸を作って、本当に信じるものを見極めて、みんな優しい世界へ向かう準備を知らず知らずにしてるんだね…
楽しさに思考が向いているのは、様々な形で皆、死と直面したからなんだ。…明日は我が身?そんなのは考えたくない。只々今を後悔のないように生きるんだ。人や自然に優しくするには、まず、自分を整えてからでないと出来ないと、どこかで感じているからだ。手を出したら終いまでやらなきゃいけないと何処かで感じているからだ。
そんなこんなで、優しいエネルギーが世の中に満ちてきているような…そんな氣がする今日この頃。…鈍っているので、そんな氣しか分からないですけど…笑
『本物しか残らない時代』と聞くと『え?私消えちゃうの?』と不安に感じる方も中にはいるかも知れないが、その捉え方は違う。 本物とは、ほんまもんの氣質、本氣の度合いと本当の氣の熱量(温度)だと、勝手に私は理解する。だから、自分が信じるものや自分の此処は誇れるんだって其処に注力すれば不安は消えるはず。だから、自分を知らなければいけないのだと思います。いずれ真実しか残らなくなるのだろうから
ちょっと横にそれたので
軸の修正。サッ…ノ( ͡° ͜ʖ ͡°ノ)
で、そちら界隈の本は、言葉のワードだけに惹かれて、ついついワード買いをしそうになるのですが、結局の所、自分の此の感覚を信じていて、大切にしようと思っているので、『 覗きたいが敢えて覗かない』を自然に選択しているのかも知れません。
覗く時はきっと、自分の答えが合っているのかそれを確かめに答え合わせをしたくなった時の様に思います…
幼少期の話しついでに思い出した事
私が幼少の頃は、(もう結構昔になっちゃいましたが) 良いアニメが沢山流れておりました。魔女っ子(今もあるね。)や日本昔ばなし、妖怪が出てくるやつ。何人かで合体して1つの大きなロボットになるやつ。(今なら色々まとめて観れるので、その点では、いい世の中なのかな?) どちらかと云うと私の場合、その当時のアニメの本筋よりも、アニメのオープニングとエンディングの曲の高低差が好きでした。それを聴きたくて観ていたような氣がします。オープニングは明るく弾けていて、エンディングはしっとり淋しげに終わる。
最初聴いた時には何でこんなに淋しくするのだ?と思っていたが、この展開、なんとも憎らしい (良い意味で)。 私はその当時、オープニングよりはエンディング派だったので、最初から最後までの流れを見ていなくてはその氣持ちを味わえなかった。一連の流れがあって、決して端折っちゃいけない所なのである。
アニメは妖怪モノが特に好きで、魔女っ子系は本当に魔法が使えると信じてやまなかった…笑。 あの当時の妖怪「なんか、怖い〜」って思ってしまいがちですが観ると案外、お話しの中での妖怪さんから学ぶ事って沢山あったように思われます。
夏目友人帳なんかは毎回、何かの妖怪が出てきますけど、どす黒くて怖い奴もたまに出てきますが…案外、本質は優しい奴で、エンディング近くまでいくと、毎回ほっこりして、そしてジンワリさせられる。夏目が妖怪ひとりひとりに名を返すシーンなんて本当大好きである。
にゃんこ先生は猫の姿をしてるけど実は仮の姿で、本当は格好良い龍なんだって設定も好きだ。そして、夏目の部屋には余計な物が一切なく、只々机があるだけの空間も好き。そして、押し入れにお布団も…まあ、上げると切りが無いのでこの辺でやめますが……笑
とにかく、ほっこりできるのである。
日本と云うのは
春夏秋冬、月日。月火水木金土日。季節行事…
其処に情緒があります。
情緒は詩を生みメロディーが付きます。
想像力が生まれ夢を描ける。
昨今は、春になると花粉にやられ
暑い夏が長く続き夏か秋か分からずの状態。
雨や雪が局地的に降り、どうにもおかしな世の中だ…
でも、これも人間様が作りだしてしまった世界なのだね?
烏が、たま〜に話しかけてくれるのだが、
何を云ってるのか聞き取れない。
『俺たちは随分前から伝えていただろ?聞こうとしなかったのは人の方だ!』とでも云っているのだろうか?
守りたいモノが出来ると大人は大変なのである。
取り戻したい
あの時の、あの頃の、心象風景…
あらあらかしこ
飛白 魚子