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ストラディヴァリの登場

※本稿は『CDでわかる ヴァイオリンの名器と名曲』(共著、ナツメ社、現在絶版)で執筆した項目を、出版社の同意を得て転載するものです。

名器の代名詞、ストラディヴァリ

天才外科医を主人公にした手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』 にこんな一話がある。北極圏に不時着した飛行機の乗客に世界的なヴァイオリニストがいた。彼は、避難のために機内に残した愛用の名器が気になって荒天のなかを取りに戻るが、ひどい凍傷になってしまう。治療の甲斐なく指の切断を余儀なくされた彼は、その指を残された名器の近くに埋めてほしいというのである。この話のタイトルは「ストラディヴァリウス」 という。また最近、フルートの名器を使ったコンサートの副題で 「フルートのストラディヴァリ」というものがあった。ストラディヴァリの名は、ヴァイオリン界はもちろん、その枠を超えて名器・名製作者の代名詞として使われているのである。

ストラディヴァリの生涯と楽器

ストラディヴァリ(そのラテン語形がストラディヴァリウス)といった場合には、大概、 アントニオ・ストラディヴァリ(1644-9~1737)のことを指す。大概といったのは、 彼の息子のうちのふたり、フランチェスコとオモボノもヴァイオリン製作者だったからだ。 さて、ストラディヴァリは、若い頃ニコロ・アマティのもとで働き、影響を受けたとされる。やがて、独自のスタイルを確立した彼の楽器製作は、1700~1720年頃に頂点を迎え、その後、90歳を越えて亡くなる直前まで優れた楽器を作り続けた。楽器の特徴を簡単にまとめると、 胴体を横から見たときにふくらみが大きい 「(ニコロ)アマティ型」のヴァイオリンに対して、ふくらみが小さいのが「ストラディヴァリ型」といえる。しかし、ストラディヴァりは実験精神にあふれていたようで、さまざまな型の楽器を作っている。

価格の高騰

彼の楽器が今のように特別な存在になったのは、19世紀以降、特に20世紀のことである。その背景のひとつには、演奏会のあり方の変化がある。 従来の演奏会は、小さな会場で王侯・貴族ら限られた聴衆のために行われていた。しかし、市民社会の成熟と平行して不特定多数の聴衆をターゲットにした公開演奏会が興り、演奏会はより多くの人々のためにより大きな会場で行われるようになる。必然的に求められるのは、広い会場の隅々まで音が届く楽器である。力強い音を持つストラディヴァリの楽器は、そんな時代の要請に答えるものだった。そして、多くの名ヴァイオリニストたちに求められ、非常な高値で取引される楽器になった。かつて報じられたところによると、あるヴァイオリニストは戦後、彼の楽器を買うために家を売るまでしたとのこと
だから、大変なことである。まさに、名器といえばストラディヴァリ、なのだ。

なお、『ストラディヴァリ クレモナの伝統』(レッスンの友社 / CGVD-1007)と題されたDVDで、 ストラディヴァリの名器を彼が活躍したクレモナの街並みなどとともに見ることができる。

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