聖人たちにあやかって付けられたモーツァルトの名前
※本稿は『知ってるようで知らない モーツァルトおもしろ雑学事典』(共著、ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス、現在絶版)で執筆した項目を、出版社の同意を得て転載するものです。
日本には「名は体を表す」ということわざがあますが、キリスト教的な価値観においても、「名は本質を表す」という聖書の思想を受けて、名前を付けることが大切にされてきました。ですから、モーツァルトの話を始めるにあたって彼の名前の意味を見ておくのも、意味のあることでしょう。
もっとも、キリスト教社会での命名の仕方は、私たち日本人のそれとはいささか異なっています。キリスト教社会では、子供が生まれると入信の儀礼である洗礼を受けさせ、聖人の名前をとって、ファースト・ネームとなる洗礼名を与えます。この際、どの聖人の名前を選ぶかが問題となりますが、両親や代父母(親代りに信仰生活を導く信者)の洗礼名を受け継いだり、子供の誕生日を祝日とする聖人の名前を選んだりするのです。
1756年1月27日に生まれたモーツァルトには、「ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス」(洗礼名簿による)という洗礼名が与えられました。ヨハネス・クリュソストムスは、1月27日を祝日とする聖人の名前です。4世紀の代表的な教父だったこの聖人は、説教が巧みなことによってクリュソストムス(「黄金の口」の意)の名で呼ばれています。 次のヴォルフガングスは、母方の祖父ヴォルフガング・ニコラウス・ペルトゥルに由来しますが、この名は、10世紀の司祭、聖ヴォルフガングにちなんだものでもありました。聖ヴォルフガングは10月31日を祝日としており、この日はカトリックの習慣によって、モーツァルトの霊名の祝日 (洗礼名の由来となった聖人の祝日)として実際の誕生日よりも重要な日となりました。ちなみに、聖ヴォルフガングは、彼が活動したレーゲンスブルクで奇跡的な病気の回復が多く記録されたことで、疾病の治癒と深く結びついています。 モーツァルトの音楽が、今日では癒しの効果とともに語られることも多いのは、偶然でしょうか。そしてテオーフィルス。これは「神を愛するもの」というギリシャ語で、 代父ヨハン・テオーフィルス・ペルグマイヤーからとられたものです。これのラテン語式の呼び名がお馴染みのアマデウスで、後年モーツァルト自身がこの名前を使っています。
さて、聖人たちの立派な資質にあやかりたい、という願いが込められていたに違いないモーツァルトの名前。彼がこの名前にふさわしい人物になったかどうかは、この後のエピソードで見ていくことにしましょう。