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私の好きな場所:妙本寺

一本路地を入ると急に静かになる。鎌倉。
車の音や人の話し声、雑踏が消えて、
風にそよいで葉が擦れる音、虫や鳥の声が広がり、自然や家々の営みへと移る。

路地ではくるくるりんりんと鳴いていた秋の虫も、木々をくぐって妙本寺へ入ると一気に蝉の声が包む。森は涼しく、ここにはまだ夏が残っていた。

園児の声がして、右手には幼稚園がある。私も神社の中にある幼稚園(幼稚園の中に神社がある?)に通っていたので、よく思い出される。園庭を突っ切るように石畳があり、つまづいて転ぶとかなり痛い。サッカーボールも変な方向に飛んでいくので、石畳があまり好きじゃなかった。

後ろから夕陽にさされ、影が長い。全身を包み込む森の湿り気。身体の後ろ側だけはじわじわやさしく暖かい。

照らされる地面から跳ね返る明かりと、木々の明るい緑から暗い緑、葉から漏れ見える空の青さ、ひんやりとした湿気、蝉の声。私はこの場所が好きだと湧く。

この大きさ厳かさに、不思議と安堵する。

門をくぐると、空を隠すように覆っていた木は遠くへ追われ、ぐるっと一面に晴天の青が広がった。

左手から仏像さんに迎えられ、その慈悲深いお顔とお言葉に、つい泣いてしまいそうになる。ながくふかいご縁にみちびかれながら、今生を力いっぱい生きていきたい。

何かを焚いているようで、後ろからもくもくと白い煙が登っていた。

お寺にご挨拶をして中に入ると、軒先に守られながら、目一杯太陽の光と虫の音を浴びることのできる。日本の建築の中でも、縁側が私は大好き。

しばらく望んでいると、やっぱりちょっと眩しい。

ぐるっと反対側の南側のへ回ると、こちらは少し暗い。日光は差し込まず、ひんやりじんわりとした柔らかな林。パリッと明るい北側とはまた異なって好き。

私は陰影の具合というか、明暗の対比というか、陰と陽が同一に内在する様が好きである。
私にどれほど陽の部分があるのかはわからないけれど、自分の中にはしっかりと陰と陽が居る。

妙本寺の陰と陽に、自らにも陰と陽が居ることを感じ、
家に帰って描いた自画像。
同一の存在のなかに、同時に存在しているありさまが私にとっては重要で、
それはどちらがよいとかわるいとかではなくて、
それらが一緒にあって、ようやく一人であり一個なのである。

焚かれて広がる煙に包まれている様は、天界のよう。穢れ深い私に救いを差し伸べてくれるような白煙を、ここでたっくさん浴びて帰ろうと思う。

蝉の声とは対照的な枯れ落ちる葉は、やはりもう秋であることを諭してくる。夏はいつも名残惜しい。

深い緑と明るい緑、淡く白んだ空の青さが、私はとても好き。だって綺麗だもの。

木が高い。私がこの場所で落ち着くように感じるのは、木の高さのおかげだろうと思う。
私よりもおそらく数倍は長く生きているであろう木々、私よりも数十倍?いや数百倍?も古くからあるお寺。
私たちはこのお寺さんにも自然にも、守られている。
私は高い木々の下、朗らかな気持ちになり、安堵に微笑みが漏れた。

帰り道、表に浴びる夕陽も美しい。来たときとは反対に、前方に太陽。
少し高い場所から来た道を望めば、自身の軌跡を省みるようでもあり、
これから進む道が照らされ、明るい未来であることを指し示してくれるようでもある。

有難いご縁に導かれ、自分なりに一生懸命生きてきた今生は、誇れるものではないけれど、黒く塗りつぶしてしまうほど悲しいものではなかったはずだ。
そして私は、きらきら照らされる道をめがけて歩く。未来は明るい。

2023.9.11

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