まるごと旅日記97年7月

画像1 アユタヤのPSゲストハウスのイギリス人主人(あるいは居候)はなかなかユニークなアル中だった。しかし、数年後再訪したときにはすでに机上の遺影と化していた。
画像2 当時、タイの地方都市に行くと、蚊との闘いを避けてはとおれない。蚊取り線香は旅の必需品だった。
画像3 PSの隣には、オールドBJゲストハウスがあった。ここの年取ったおかみさんは日本人の若者の良き相談相手だった。
画像4 アユタヤの安宿街は怠惰な旅人のたまり場だった。いそいそと観光にいそしむものは稀で、みな宿の庭先でごろごろしていた。
画像5 夜になって日本人の学生が来た。自転車でタイ全土を周遊しているという。
画像6 アユタヤは町の内外にたくさんの遺跡を見ることができる。リトルアンコールワットのような遺跡が点在している。
画像7 当時のタイのゲストハウスは欧米人と日本人で二分していた。欧米人といってもアメリカ、オーストラリア、北欧、英独仏くらいで、南欧の旅人は少なかった。

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