「そうはいかない社会」で希望を叫ぶ
脚本執筆は、まだまだ終わりの見えない旅です。
部内での締め切りまで、あと、2週間弱。遅れる訳にはいかない。しかし、妥協してやっつけ仕事になってしまってもいけない。
限られた時間の中で、極限まで集中して、やるべきことをやるだけです。
色々と、両立しなければならないことはあります。
たとえば、来春から国語科教員として教壇に立つので、幅広く勉強を重ねておかねばなりません。
卒業論文執筆に向けての準備も、夏休みのうちにある程度進めておかねばなりません。
そして、体力作りも。
このnoteも、公演の存在が忘れ去られないよう、一人でも多くのお客様が劇場に足を運んでくださるきっかけになるよう、続けていかなければなりません。
全て、自分でやると決めたことですから、大変だとは思っていません。たくさんのことを全力でやっていくことには慣れています。
なぜか。
松山東高校で育ったからです。
県内随一の進学校にして、部活動も、学校行事も盛んな学校です。学校が掲げるスローガンは、「四立」です。勉強、部活、行事、恋愛(笑)。
自分の思うように、自由に何事にも打ち込もうということです。
私は数年前にこの高校で青春時代を送り、数か月前、教育実習生として、再び城下の学び舎で自己を鍛えました。
実は、実習に行く前、私は危惧していました。「四立」の成し遂げ方はたくさんあるのに、理想の東高生のイメージが固定化され、逆に窮屈な雰囲気が漂ってはいないだろうか、と。実際、数年前、私が現役の時代には、そうした片鱗が見え隠れしていたことも事実ですから。
しかし、それは杞憂でした。
守るべきものは守りながら、個人の自由は最大限尊重される、しなやかな学校になっていました。「多様性」を、「今までの事を全て変えること」「しんどいことはやらないこと」と誤って解釈することなく、保守と変化が融合させる。そんな素晴らしい雰囲気を、私は感じました。
そして、その時出会った生徒たちを直接応援するため、先日愛媛に帰省し、運動会を観に行きました。
東高の行事の中でも、運動会は格別。県内の高校でも一番の規模と熱量とクオリティであると断言できます。
夏休みに生徒だけで山に竹を取りに行き、その竹を使って、これまた生徒だけで、櫓を組みます。櫓は、大迫力の応援合戦の舞台となります。グループ対抗で劇を披露する「グランド劇場」や、体の一部が地面についたら負けという、落とし合いの騎馬戦もあります。さらには、男子が上半身裸で行う「東高体操」も、見ものです。
生徒たちは、酷暑の中、これでもかというくらい、輝いていました。
思いっきり笑う、思いっきり泣く。
自分のプレーが、自分の声が、自分の行いの全てが、世界を変えるのだと思っているんじゃないかというくらい、全力で前向きでした。
子どもたちは、可能性を信じている。信じるって、本当に凄まじいパワーだと思いました。
もちろん、大人になっていくと、思うようにいかないこと、理不尽なこと、たくさんあるでしょう。
でも、だからといって、未来を信じる純粋な子どもたちの姿を、大人が笑うのは違う。信じることが子供の証で、信じないことが大人の証であってはならないと、私は思っています。
「社会に出たらそうはいかない」―これは事実です。
しかし、だから「そうはいかない社会」が正しい。
「そうはいかない社会」を維持しなくてはいけない。
「そうはいかない社会」を受け入れ、「そうはいかない社会」で生きていける人が素晴らしい。
…というのは、違う。
微妙なニュアンスですが。
信じる力を持って、「そうはいかない社会」をちょっとでも、自分なりに変えていくような人間を育てるのが、自分の役目であり、一人の大人としてやりたいことなのだと、再確認した時間でした。
ずっと、母校の運動会の話をしていますが、決して、演劇の話から脱線している訳ではありません。
演劇も、社会を受け入れたら、社会に対して諦めを持ったら、作れないものなのです。
無理なのは分かっていても、自分の作品で少し社会が変わるのではないかという希望を、1ミリでも持っていないと、作品は書けません。希望は綺麗な現れ方をしなくてもいい。怒りでもいい、皮肉でもいい、曲がって腐っていてもいい。感情が沸き上がること自体、99諦めていても、1の希望は無くなっていないことの証左ですから。
教壇に立つこと、舞台を作ること。
まったく異なるように見える私の営みは、根底では繋がっているのです。
実習中もそうでしたが、運動会でも、「人生最初の教え子」から、本当に大切なことを学びました。パワーをもらいました。
運動会の最中、自分が教えたクラスの子たちが、何人も何人も、話しかけてくれました。
全てが終わった後、クラスの集合写真を撮るからと、わざわざ呼んでくれました。3週間しかいなかった私を、です。そして、生徒たちの大切な櫓に上がらせてくれました。数年ぶりに踏みしめた櫓の感触。数日経った今でも、この足に残っています。
何が私を駆り立てるのか、はっきりと分かったので、あとは、そのエネルギーを作品にぶつけ続けるだけです。今月の終わりには、必ず第1稿を完成させます。
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