目覚ましい新人群の活躍
コラム『あまのじゃく』1952/12/8 発行
文化新聞 No. 544
飯能町議会を褒める
主幹 吉 田 金 八
3日より5日までの三日間にわたり召集された飯能町議会は18名の新人議員を迎えた新議会だけに、町民の期待も大きかったが、町民の代表のつもりで記者席に頑張って議員の一挙一動を見守っている私にとっても大きな収穫のあった有意義な議会であった。
元加治地区を『分村させる、させない』と言う事は一応現在の議会に元加治の代表と見られる議員が居ないから、議会では議題に上りっこないが。しかし現在の飯能町は、この問題をどう処理するかが大きな命題として課せられている事は覆うべくもない現実である。
したがってこの問題にからむ発言が一般議員中よりなされることも自然であり、この議会もいずれは分村問題と正面切って取り組まなければならない時が必ず来る事は当然である。
新議員から小林町長に向かってなされた「町政全般に積極性がない」との非難は、新規事業等に議会の協賛が得られなかった過去の空白時代には、要求する方が無理のように見受けられるが、これらの分村問題処理にあたって、小林町長がなんらの解決に誠意がなく、その日暮らし、あなた任せ、ただ自分が町長の椅子にのっかっておりさえすれば良いのだ、と言う保身策にキュウキュウとしていることを鞭撻したものと解することができる。
新人中には、篠原、寺本、師岡、角谷氏などの貧乏党の荒れ馬が混ざっていたが、これらの人たちも本議会、委員会を通じて堂々の論陣を張り、しかもその論旨、目的が建設的であり紳士的であり、町民が懸念した、これらの人の中には元加治の代え玉となって町議会で嫌がらせ戦術を展開するのではないかと言う心配も雲散霧消した感があり、このことは他の議員にも感応して、角谷氏の加治小学校再建動議に対して保守派を含めて、全議員が賛成の起立をしたり、寺本議員の発言に町田議長までが「元加治の問題に関しては私は重大責任を感じている。今後は議会全体の責任として町当局とも協力して円満な解決を図りたい」と誠意一杯応じるなど、かつての議会には見られない「言うべき事は言い、行うべきことは行う」といった清新な気がみなぎり、今後の町議会は町民の鼓舞鞭撻が緩まない限り非常に民主化され、陰の謀議政策が行えないスピード議会が現出する、明るい前途が予測されるに至ったことは慶賀にたえない。
ただに革新派の人たちに限らず、保守派の面々にしても新議員の勉強意欲は相当なもので、議長の発言もキビキビ、議長が整理しがたいほど発言申し出が多く、文教委員会が日没近くなって各学校の現地視察に出かけたり、5日の本会議に夕食を忘れ、8時間の内10分の休憩、1回の食事休みのみで強行したり、記者席の方がうんざりするほどの熱心さが見らた事は頼もしい。
特に新人議員に感謝されるところは、これらの人たちが常に世論を背景に行動しなければならない人達だけに、すべての会議が公開してなされることで、委員会は全部新聞記者立ち入り自由の下に行われたことは、民主的町政のあり方として当然のことであるが、今後の町政から4畳半政治が除かれて行かれるであろうことが期待されることで、これまた封建的な飯能町として一大進歩たるを疑わない。
今町議会で活躍した新人議員は前記の人たちの他にも遠藤、岩沢、岩本、森口その他たくさんあり、さらに石井、土肥その他の旧議員も一年生の新議員を侮ることなく「是は是、非は非」で寛大に協力をした事は賞賛に値すると思う。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】