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全面講和か単独講和か

コラム『あまのじゃく』1951/1/28 発行 
文化新聞  No. 82


見えない鉄のカーテンの向こう

    主幹 吉 田 金 八

中身も知らされないでどちらかを選べと言われても選択に迷うのは当然である。
 二者択一という言葉が用いられるが、全面講和か単独講和かの問題でも、資本主義か共産主義かの問題でも、それと同様当惑せざるをえない。
 なるほど日本の現在は連合国軍(といっても米軍が主である)の占領下にあり、制度の点でも物質文化の面でも、多分にアメリカの影響と援助を受け、お世辞でなく日常生活もだんだん潤ってきた。
 特に社会制度の面では全てが民主的になり、ことに言論、報道の仕事に携わっている立場から見ても、非占領下に現在ほどの言論の自由が許されるだけでもありがたい次第である。
 アメリカの占領政策に対して素直に感謝の意を表するものである。これは敗戦国民の卑屈さから言うのではなく、そう感じるからである。
 アメリカの物質文明の絢爛さも民主主義社会の合理性も我々は5年に至って十分に味識し、賛美するにやぶさかでない。
 終戦までの日本の諸制度、国家社会の仕組みと、アメリカのそれを比較して、いずれかを選べと言うならば、我々には充分の自信を持ってコチラが良いと選択することができる。それほどにアメリカの指導する日本の民主化は、戦争に破れた混乱と物資不足の悪条件下で成功している。
 ただ、ここに心配なのは講和が成立して、日本が外国からの援助を打ち切られ、一本立ちになった場合にどうかと言うことである。アメリカは物資にも恵まれ国土と人口の割合も緩やかであるのに比べて、日本は狭い国土に溢れる人口を抱えている。
 国内の資源も人間家以外には豊かでない。
 富める国アメリカの資本主義的生き方を、貧乏の日本が真似して、果たして国内に飢えるもののない、理想社会ができるかどうか。
 自由経済でどんどんお金を儲け、費用を蓄積し、「民主主義だ。自分の金をどう使おうと勝手だ」と言った資本家が腹を叩いている反対側には、零細農家や労働者はやせ細って、食うだけも難しい、街には乞食や風太郎、浮浪児が氾濫するようになる事は望ましいことでは無い。
 資本主義の良いとこ悪いとこはおぼろげながらわかったような気がするが、共産主義の良いとこ悪い点は、日本人には鉄のカーテンの向こう側の透かし絵で、本当には判らない。 
 比較すべき片方の中身がわからないままで、二者択一を強いられて当惑している表情が、講和に対する国民の意思表示に割り切れぬ影となって現れているのだろう。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

tetsunosuke yoshida
80歳を境にリタイアした老ジャーナリストです。『note』では私の父が、昭和25年以降、新聞に連載したコラム『あまのじゃく』を復刻して、令和の皆様にご覧頂きたいと思います。『昭和』と『令和』70年の歳月がどれだけの進歩と退化をしているか、ご考察のよすがになるかと思います。

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