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線香花火の愚連隊狩り

コラム『あまのじゃく』1958/7/23 発行
文化新聞  No. 2972


”働きの法悦”得させたい

    主幹 吉 田 金 八 

 また、飯能署が愚連隊を挙げた。最近の全国各警察は愚連隊狩りの専門である。
 それというのも、銀座あたりの貸金取立ての暴力団が、会社の社長を一発で眠らせるような事件があって、暴力団、愚連隊の一般世人への迷惑の度を越すようなことになるから、世論に押されて警察も躍起となる訳である。
 実際、何の用もないのに駅や盛り場にとぐろをまいて、通行人をジロジロリ睨みまわしている連中が日ごとに増えて行き、相手がか弱い婦女子や学生であると、つまらない因縁をつけて暴力を振るったり、金を巻き上げたりする悪行には、善良な市民は困り果てているわけで、この愚連隊の問題は警察力だけでは一掃できるかどうか、追えば散り、放って置けばまた集まるの繰り返しでは困ったものである。
 検挙された彼らの罪状を見ると、暴行や脅迫などの犯罪事実は悪質であるが、その犯罪によってもたらされる彼らの収入は微々たるもので、とても都内の銀座あたりを根城として横行している愚連隊、パクリ屋などの比ではない。
 こんなつまらない財物のために毎日ぐれて歩いて何になるのか、また警察のご厄介になって暇を欠いては間尺に合うまいと常人は考えるのだが、果たして連中にはどんな考えがあるのであろうか。
 彼らをして言わしむれば、愚連隊の足を洗いたいのだが、堅気の社会に働いて食える職がないと言う事を口実にするに相違ない。
 果たして働いて食える職がないかどうか。
 記者の見聞するところでは、決して就職の門がそんなに狭いとは思えない。否、むしろどんな商店でも工場でも料理店でも、真面目に働く人を求めて、得られないのが実情である。
 現に出前持ちを見つけている店、工員を求める小工場などいたるところにある。
 ただ、現実の問題としては、これら愚連隊というような経歴の人たちを雇用してくれるかどうか、どの企業にしても、人を頼む場合にはその人の前歴を問題にするのは当然で、社会奉仕や民生保護事業でない一般営利業者とすれば、おそらくその一点で難色を示すのではないか。
 仮に愚連隊が更生したいと思っても、こんな点で壁にぶつかることは想像されるが、しかし、そうした身元、性情にやかましい職場だけでもないから、就職の意欲さえ十分あって誠心誠意求めたならば、結構な仕事が見つからないことはないであろう。
 世の中は甘くはないかもしれないが、真面目さが認識されれば信用が固まり、トントン拍子に行くもので、決して自ら助けるものを助けないほど非情ではない。
 また他人に雇用されるのではなく、気の合った若い者でグループを作り、土方仕事の下請けをするとか、飯能あたりでも結構頼み手があるのではないかと思われる。
 カフェー、料理屋、パチンコ屋などのプラカードを持って、駅付近を流すサンドウィッチマンなどの倶楽部、考えれば愚連隊あがりに似つかわしい商売も、決してなくはないはずである。
 警察の愚連隊狩りも、一時的な現象に終わると思うが、彼ら自身が身分の事と思って、今後の身の振り方を考えて貰いたいものである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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