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死に際が悪い
コラム『あまのじゃく』1954/2/15 発行
文化新聞 No. 1164
名言『職を賭しても現職に甘んじる』
主幹 吉 田 金 八
9分通り出来上がっているはずの日本セメント誘致が、あと1分というとこで、委員長の首のすげ替えを断行せざるを得ないところを見れば、「今度の反対」に市当局が相当に参っていることは想像できる。
『職を賭しても現職に甘んじる』と日本の文章規範にない新語を製造して『死んでも離さない』という意思を表明した小林市長も、一つの長の椅子を投げ出すことを決意するに至った。
これは某市議の言ではないが、チョーと名がつけば『面チョー』でもと悪口を言われる小林市長にとっては、よほどの切羽詰まった証拠で、『市長の決裁で出した書類ではないから』と責任を逃れようとしたが、客観情勢がどうでも、関口氏のみをハリツケにして済ませる訳にもいかなかった事を物語っている。
特筆すべきことは、市議会でないセメントの委員会で『市長市議会交替論』が飛び出したことで、これは見ように依れば、委員長の首のすげ替えのみをもってしては『まだまだセメントの前途遼遠』を思わせるものがある。
市議会も満足に行っても、あと1年2ヶ月の命なのだから、どうせ短い寿命なら市民の声に応えようという気持ちが、市議会にもボツボツ出始めたのかもしれない。
委員長交代もそんな訳で非常に気乗り薄で、石井議長あたりはどうか知れぬが誰も逃げ腰であった。
委員会の考え方では、細田栄蔵氏を担ぎ出そうという空気のごとく感じられたが、そんな甘い考え方が飯能が物事につまずいてばかりいることになるので、細田氏が事ここに及んで、そんなロボットの座に坐る訳もないし、それに第一、体が言うことを利くまい。
飯能はどうにもならぬトコトンの所に行かねば、反省も勇退もできぬ悪い風潮の土地だ。
市民は出たがらぬ人に出て欲しいと思い、出たがる人を引きずり落としたい、変な趣味を持っているのではないか。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】