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東京紙の値上げ
コラム『あまのじゃく』1954/9/3 発行
文化新聞 No. 1266
先を越されて足踏み‥‥ 本紙
主幹 吉 田 金 八
読者から安すぎる文化新聞という投書に接したから調子に乗って書く訳ではないが、本紙の安いことは日本一である。
記者はこの1年ほどの間に全国のほとんどを歩き回った。こんな安い新聞は絶対に日本にはないことは保証する。
地方の中都市で出ている日刊紙は、活字を本紙より小さい8ポイントを使って内容も本紙より充実しているが、タブロイド4ページで百二、三十円とっている。しかもほとんどが、日曜日もしくは月曜休刊である。本紙は月に80円で、しかも年中ほとんど無休である。
安かろう悪かろうという気味もないとは言えぬが、どうしてこんな安い新聞ができるか不思議に思う人さえある。
『新聞は儲かりますか』という質問を受けることもあるが、記者はその心なさに情けななくなる事もある。
文化新聞は記者の家中・家族総がかりで、夜の10時、11時までの努力と、従業員の低賃金と能率作業、編集費はほとんど掛けないといった野蛮人的な運営によって、初めて毎日の発行が維持されているわけで、押貰い的広告を取らず、大新聞と同じ見識を持って、人口3万余の日本一小さい都市で、4ページの日刊紙が発行出来ていることは、現代の奇跡だと思っている。
本紙も慣行的に正月と暑中だけは名士の名刺広告、いわゆる賛助広告を極めて小規模だが貰っている。
記者はこの暑中、年賀の賛助広告も、後めたい心進まぬものがあるので、来年からはこれを廃止しようかとさえ考えている。
しかしわずかではあるが本紙によって衣食する支社、支局にとっては、この盆・暮での広告を扱うことで、例月の足らない収支を合わせている向きもあり、これでかろうじて餅がつけるというのもあるのだから、本社の都合のみで無下にこれを廃止することもどうかと言うことになる。一律に廃止とまでいかなくても本社直扱いの地域のみでも、顔を利かせての賛助広告は来年から廃止したいと考えていた。しかし、そのためには現在の紙代を100円にしなければならない。
そうすれば年間には賛助広告相当額が生み出せる計算になる。
そんな風に考えているときに、突如として東京紙の50円値上げである。
いささか機先を制された形である。
東京市の抜き打ち値上げには、読者社会からそれぞれの批判も行われるであろうし、無言の批判は各紙の今後の増減で現れるに相違ない。
文化新聞は『あまのじゃく』だから、各紙に追随しての値上げはしないことにした。
現在の紙幅のうちは80円を守って、いま進行している印刷設備の拡充が完成し紙面の充実拡大の自信がついたら、週に1回現在の倍大号を出すことにして、月100円に値上げをさせて貰いたいと心組んでいる。最近の本紙は取材範囲が飯能中心に局限されているため、分村、日セの諸問題が終息したため物足らぬ感を読者諸賢に与えている事は、別に苦情を受けていないが、記者は十分心得ている。
しかし、それを補うかのように読者からの寄稿投書が常に豊富で、本紙も地方にガッチリと根を落とした感がすることは頼もしい。
中央紙の景品合戦にも分村、日セの問題が終わっても、記者が自動車行脚で1ヶ月も社を開けることがあっても、読者はほとんど増しもしない代わりに減りもしないことは、本紙が吉田主幹の個人新聞から、4千読者の合作になりつつある事を物語るもの当たるものであろう。
記者は本紙が読者と記者の後継者によってどうやら一本立ちが出来る時が来たら、札幌に大雄飛しようと心に期しているが、現在の本紙はようやくその方向に進みつつある様にも思われることは心強い。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】