人より党を!
コラム『あまのじゃく』1953/4/23 発行
文化新聞 No. 689
参議院選挙‥過たぬ候補者の選択を
主幹 吉 田 金 八
参議院選挙も地域が広く散漫の観があり、衆議院と混線して運動も浸透していないため、明日に迫った投票も案外棄権率が高いのではないかと予想される。
配布された候補者一覧表や選挙広報等を見ても、あたかも外国電報を見るように味気なく、どの候補者に入れようかと言うことがピンとこないのはどうしたものか。
この場合有権者が投票の目安をどこに置くかということが必然問題となってくる。
人物か所属政党かと言うことになる。もちろんそのいずれを取ることも有権者の好むところで結構である。
後者の人柄、経歴、政治力や信念等を深く知っている場合、党より人だという行き方も一理である。ところが参議院全国区などとなると、100人が100人知らぬ場合が多い。今朝の某紙に、ある映画会社で選挙を織り込んだ映画を作るために、浦和で現地ロケを行った。
『民友党公認凸山乙太郎』と書いた選挙自動車で流しているところをクランクしていたら、その脇を通り合わせた本物参議院広報の宣伝カーが、映画の一隊とは知らずに
『凸山先生のご健闘を祈ります』と通例の敬意を表して通って行ったとある。
全国区で何名立候補しているか知らないが候補者同士が名前を知らないのが大半ではあるまいか。ましてや有権者においては然りである。こうなるといかに頑固な『党より人だ』と主張する人たちもシャッポである。気候の変わり目で眼が痛む、目薬を買おうと言う場合、知人が「どこそこの家伝薬はとてもよく利くから」と体験を基調に熱心に勧められて使ってみる。これは人物本位での投票に似ている。だらしのないのは、大道のテキ屋の弁舌とインチキの実験に騙されて飛んでもないものをつかまされることである。
これも人物本位と称する場合の馬鹿の一例だ。普通の場合は薬局に行って『ロート目薬』とか『大学目薬』とか言う著名な製薬会社の品物を用いるであろう。もちろん医師が病状に応じて施薬するのとは効果の点で相違はあるが、一応の効果はあり、絶対に害の無い事は確かだ。デパートで多くの人が買い物をするのも、そんなに安くはないが間違いない、馬鹿を見たと言う事がほとんどないからではあるまいか。
メーカー、大店を信用して買い物をするのは、党本位の投票と同じである。党公認は天下の公党が責任を持って進める確信ある商品のレッテルである。もちろんデパートにも三越、白木屋、西武それぞれ歴史も伝統も風格も差異はある。選挙民も多年の経験から各政党の風格は飲み込んでいるわけである。各々の好みに従って党を選択して、党を選挙するつもりで臨むのが参議院などの場合一番無難で賢明といえよう。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】