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鉄砲を持たぬ議員

コラム『あまのじゃく』1951/4/8 発行 
文化新聞  No. 102


雄弁は銀、沈黙は金

    主幹 吉 田 金  八

 雄弁は銀、沈黙は金…の諺がある。人格と実行の伴わない弁論は徳望家の沈黙に及ばない、という意味であろう。
 ひところ雄弁華やかなりし時代があって、永井龍太郎、鶴見祐輔などの名演説に大衆が血をわかしたものだが、これらの雄弁政治家は案外大成しなかった事は、単に口舌の職人に過ぎず、政治家としての信念、腹芸に不十分だったのではなかろうか。雄弁家であると言うことが、良い政治家であることを意味しないけれど、反対に弁舌が立たないと言う事は政治家の大半の資格を失うことではあるまいか。
 ここで言う雄弁は演壇で大見得を切る、いわゆる雄弁会型のそれを指すものではなくして、自己の抱く政治上の意見を余すところなく議場に徹底させ、反対者を集結させることであり、多分は弁者の人格、徳望の裏付けがものを言うわけだが、政治家にとって弁舌は第一の表芸であり、兵隊の武器、芸者の三味線に相当する。
 植民地的国家ともなれば武器のない兵隊(近代戦では小銃は武器の部類には入らない)、三味線の弾けない芸者が出現することも不思議ではないが、親分の代議士におんぶして日雇いの弁士を連れ、金庫を下げなければ議場に臨めない様な県議の出現は迷惑だ。


コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。

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