見出し画像

小気味良い証券界の秋風

コラム『あまのじゃく』1963/10/11 発行
文化新聞   No. 4589


産業の寄生虫⁈に程よいパンチを…

    主幹 吉 田 金 八
  証券業界に秋風が立ち、ひと頃の好景気は忘れたようである。
 日本橋のある大証券会社の重役室に通じる廊下に、今まで煌々と点じられた電灯が、最近は経費節約のために必要のない時は消灯されることになったという。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの大証券会社も、最近のように投資信託の売出しも売れ行き不振で、今年の株式投信の伸びは9月現在で327億で、これを1年に換算すると500億、盛んだった36年に比較すると8分の1に足りない。
 加えて、株式市場の取引の減退でひところの半分以下、これでは手数料もたかが知れ、兜町一帯10万人と言われる証券マンを養ってはいけず、全国主要都市の目抜き場所に威容と新聞社そこのけの通信設備を誇った支店、営業所の維持経営は困難となる。
 現に大証券会社では、①経費の節約、②調査部などの部門縮小、③能率の悪い支店、出張所の閉鎖などの体質改善を計画していると言う。
 ひところの証券ブーム、投信全盛時代の「銀行よ、さようなら」と預金をおろして投資信託への呼び込み宣伝に幅を利かせた面影はいずこに。
 あの当時、私は銀座商店街のある有力店主が「預金を下ろし、地元会社の株式出資を全部手仕舞って投資信託にする」と相談を受けたのに「投信の配当など水のあんぶくの様なもので、そんな思い切ったことをすれば必ず後悔する日がある」と忠告し、「私の忠告で損を出さずに済んだら損をしなかった分の一割をお礼に貰う」と約束してあるが、その人はそんなことは忘れているかも知れない。ひところは都会も田舎もそんな熱狂振りだったのを考えるとおかしい。
 株価の不振で宣伝で釣った手前、予想した配当が出来ない苦肉策に、この9月決算期の投信証券のやり繰りは、手持ち株の高値バイカイ、系列店への一時はめ込みなどの非常手段で棚卸資産の評価益を計上する工作を行って、胡麻化そうとしているとか。
 本紙では創刊以来主張し続けているが、 証券業界、証券マンなんてものは産業の寄生虫で、競輪場の予想屋か場外車券屋のようなものであるということである。
 会社経営者が頭を痛めて経営に苦心しており、その企業の労働者が汗を流して働いているのを、涼しい木陰、もしくは扇風機に吹かれてシャレ着で「よく出来た」とか「不出来だった」とか、上げたり下げたりしているようなものである。
 それで美味いものを食い、贅沢をする金を大衆投資家から巻き上げているようなもので、別に株価が上がったからといって会社の資産機械が増えた訳ではない。
 株屋、証券界が煽り立てたために大衆投資が増大し、この為に日本の産業界が設備投資を充実したという効も認めないではないが、図に乗って必要以上に物が出来るようになり、その反動がもっと恐ろしい結果を生む兆候も最近見え出した。この点は功罪半ばであると言えよう。
 ともかく、夏羽織を着て、扇子を使っていた種族が慌てている図は小気味良い。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?