もう騙されない ‼
コラム『あまのじゃく』1955/1/1 発行
文化新聞 No. 1676
『ヤケッぱち』で戦争期待は困る
主幹 吉 田 金 八
大東亜戦争が敗戦に終わってちょうど10年間経った。
この間、政府はじめ国民全般があの戦争を無謀な戦争、誤まてる戦争だと呼んで、軍部少数の野望に引きずられて、八千万の国民は馬鹿な目に遭わされたのだと言い捨てている。
野望に引きずられたのか、騙されたのかは知らないが、大東亜戦争当時は聖戦と呼び、已むに已まれないものと思い込み、一億一心とか、撃ちてし已まんとかの合言葉で、何が何でもやり抜くぞと民族の忠誠心を沸かしたものである。
戦争の末期に南方の諸拠点を転進と称して逐次失ってしまい、沖縄までも敵が攻め寄せてきた時すら、国民の大部分は『大和』その他の世界無比の巨艦を有する無敵海軍が、いつかは姿を現して敵を十分懐に引き込んでおいて、一網打尽にやっつけてしまうことを信じていたものである。
その最後の頼みの海軍もいつの間にかアメリカに一網打尽にされており、アッケなく天皇の放送となり、国民は初めて長い間耳と眼を塞がれて、自国が敗戦の憂き目を見ることの必然の戦局の真相を知らされずにいたことに思い至った訳である。
軍は国民を騙した、不届きの奴だという声は国民の間に高まって、軍部の要人が戦争犯罪者としてアメリカ軍に逮捕されるのを、半分は痛ましい気持ちもあったが、反面当然だという思いで見送ったのも国民の多くではなかったか。
だました奴は憎らしい、不都合だという声はあったが、騙された奴らもバカだったという内省がなかったのは不思議といえば不思議である。
日本人もどんなに痛い目に遭わされても、何度でも騙されることを繰り返すことは困ったものである。あれだけ騙されたのだから、もういい加減に騙されなければ良さそうなものが、性懲りもなくチョクチョク騙される。
戦後になってからでも大東亜戦ほどではないが、小出しに手痛い目に遭わされている。
その一つは、アメリカの占領政策に基づく日本人を、性なしにする術策にすっかり騙されてしまった。これは民主主義の仮面をかぶって次第に日本人を犯しているが、働くことを嫌がって、パチンコやヒロポンに現を抜かす自堕落な国民にしようとしている。
最近に至って、パチンコ禍、ヒロポン禍に気がついてきたようだが、もはや如何ともしがたい域まで来ている様である。
これはかつての英国が支那を骨抜きにするためにアヘンを広めたと同じ筆法で、日本人はまんまとこの手に乗った訳である。こうしておけば、国民の士気は砕け衰え、再び日本が貿易でも生産でも外国を脅かすような国力を充実させることはあるまいというのが狙いである。もちろん戦力においてもである。
街には頭ばかりピカピカ光らせて、何の能もない青年が右往左往している。ヒロポン患者は注射液欲しさに手当たり次第カッパライでもやりかねない様相でフラフラしている。これがアメリカの政策に騙された現在の様相である。
もう一つ滑稽な騙された一例は、例の保全経済会式の高利金融である。これも月に5分、6分、年に元金が倍になるという好餌に騙されて、せっかくのアブグ銭や退職金などをあっさりさらわれてしまった。
『もう二度とこんなバカな目に会うまい』と臍を噛んでいるご仁も多いことだろうと思う。その他株式景気につり込まれて、ヘソクリを台無しにしてしまったことも昨年末あたりあったし、欲張り深くても根がお人好しで馬鹿ときているから騙されてしまう。
吉田自由党にも6年間も騙され続け、とことんまで血を吸われてしまい、ヨロヨロになって気がついて、どうやらこうやら吉田を放り出したようなものの、これに変わった鳩ポッポが選挙管理内閣である本来の任務をごまかして、なんとか空公約で総選挙を有利に導こうとしているが、鳩山も自由党の傘下で、一つ穴のムジナであることを忘れて、またまた騙されそうな空気であることは、誠に度し難き健忘症な国民ぞやと言いたくなる。
今年は鳩山さんが四百億の減税をするとか、産業復興がどうの、失業救済がどうのと並べ立ててみたところで、日本の経済自体は吉田内閣の末期と聊かも変わっていないので、生活もいよいよ困難を加重するのではないかと思われる。
しかし、この困難は何のせいでもなく、終戦以来10年間の自堕落な国民自らが蒔いた種であってみれば、これが収納は国民自身が行わればならぬものである。兎も角もすればその困難に打ちひしがれて外国に縋るとか、自暴自棄になり易いもので、失業者が巷に溢れ不景気になってくると、『こんなことなら戦争があった方が良い』など、自衛隊志願者が増え、またゾロ軍備拡張の方に食指が動き出すのではないかと言う事が心配される。
総選挙も社会党が過半数を制することが出来なかったとすれば、保守合同で再軍備を施行する吉田の後継者が政権を握るのではないかと懸念される。内閣は誰がとっても良い。国民が戦争はコリゴリだという事を忘れる事が恐ろしいのである。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】