飲み屋善哉
コラム『あまのじゃく』1963/11/29 発行
文化新聞 No. 4631
二百軒余の飲み屋を繁盛させよう!
主幹 吉 田 金 八
ある商店の若主人が「文化さん、ちょっと頼みがある」と人前では言い憎くそうな様子で私を物陰に呼んだ。
「何事かならん」と聞いてみたら、夜、東京に飲みに行く時使う自動車を貸して貰えないかと言うのである。
そこの店には何台も自動車があるのだが、親父や店の者の手前があるから使いにくいと言うのである。
その店というのは土地の生え抜きの店ではなく、都会から来た店で、飯能より東京の方が知り人が多い事情も判るが、それながら東京にどんな面白いところがあるか知らないが、わざわざ夜東京まで出かけて行って飲むこともあるまい。飯能で飲んだらと、こちらは土地発展を看板にしている商売柄、どうして東京まで飲みに行くのかという心理状態を参考として聞いてみた。
「僕は女がくっついてベタベタするのはそんなに好きではない。キャバレーへ行って、みんな賑やかにやるのを見ながら、美味い物をたらふく食えば良いので、土地不案内な僕には、そういった店が飯能にあるかどうか、よく判らない。
それに顔が利かないから、金を持たない時でもツケのきく店と言ったら飯能にはないから、月給前に東京から友達でも訪ねて来られたら、つい東京に出てしまう」という説明だった。
どこからどこまでが本当なのか、 男で女にベタベタされて悪い気の筈はないと思うのだが、それにしても『キャバレー』というものを私は知らないから見当がつかないが、そんなとこでいったいどの位かかるのかと聞いたら「二人で二、三千円で済む場合もあるが、時には七、八千円かかることもある」との話で、その程度の散財を覚悟するなら飯能でも気に入った飲食が出来ない筈はないと思った。
「車を貸すのはお安い御用だが、新聞社の車は昼間東京に行っても時々エンコすることもあって、慣れた者でなければ使いこなせない。飯能であなたに合ったツケの利く店を紹介してあげよう」ということで、いずれ折を見て適当な店へ一緒に行く約束をしてしまったが、そんなことで料理屋、飲み屋の商法について改めて関心を持つことになった。
飯能は観光地として外来の客を引くことに専念する店もあるが、普段の地元の客もおろそかにはできない。一晩に2組か3組のお客で店の成り立つだけの売上のある店もあったり、薄利多売で流れ作業、スーパー式に客をこなす店もあって然るべきである。
土台、飲み屋や歓楽的商売は家庭の主婦には眉をひそめさせるが、私は人間の本性は金さえあればつまらなく金を使うように出来ているものだと割り切っている。
家で無駄遣いにヤカマシイ親父が、白粉臭いねえさんに案外見栄坊でちょいとうまい言葉をかけられればグニャグニャとなって札びらを切りたがるものである。
それでいて、またどんな見栄坊でも心底はケチで、料理屋の勘定には密かに厳しい目を働かせているもので、料理屋の勘定の取り方は難しい。
矢張り長くお得意を支えるにはボラない、あんまり派手に金を使わせない親切さがなければならない。
こうした店は永く栄え、その反対の式の店は何時まで経っても伸びないし、何時のか間に水のアワのように消えている、あらずもながの商売だが、人間の本能に根ざし、絶対に絶えることのない商売で、飯能には200軒も小料理屋があると言われているだけに、何も東京まで行かないで済むように、また、これによって観光飯能がいよいよ栄えるようにありたい。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?