分村事件の円満解決は⁉
コラム『あまのじゃく』1952/12/24 発行
文化新聞 No. 561
もう分村させるのが賢明!
主幹 吉 田 金 八
24日に開かれる飯能町議会に元加治分村派は再度の分村要望の陳情書を提出することになりそうである。
元加治も前回の不始末に懲りているから、今度は慎重を期してなるべく町民の感情を刺激しないような方法で分村運動を進めるであろうが、何分多勢と無勢の対峙する問題だけに、ヒョンな動機で双方のいずれかが感情に激して運動せんが為の運動、反対せんがための反対と言う、過去に繰り返されたと同じようなコースを選ばないとは限らないような気がする。
私は新聞記者の職業柄、分村派の幹部の誰よりも旧町の反対者の気持ちも分かるし、反対派の某々氏などよりも分村運動に熱中する人の気持ちも分かると言う自信がある。世人にも一部の極端な分村派、反対派の人を除いたらこの事は了承していただけると思う。
そうした事情通を持って任ずる立場から見て、この分村問題に対する処理方法の意見を、全飯能町の方々に聞いていただけたらと思う次第である。
結論から言うならば、今度町議会に出される分村派の陳情書を取り上げて、もちろん議会の討議も必要であり、元加治の世論調査(これは絶対に必要であり、しかも厳正に行われるべきものであると思う)の過程を経て、元加治の分村を飯能町議会に於いて可決することが、元加治の事は知らないが、旧町を含む全飯能のために幸福になるということである。
更に要望があるとするならば、全町のこれに対する賛否を投票もしくは世論調査の形式で行うことも結構であろう。
ただし、この元加治以外の世論調査は参考資料として集めるだけで、数の上の決戦投票的なものでないことになすべきである。
以上は結論であって、今度はその理由を述べなければならないことになるが、理由は冗長になるため断片的に記すが、元加治の分村派の中にも、腹から分村したほうが地区民全般が楽になり、理想的村づくりができると信じきっている人もあれば、行き掛かりからどうでもこうでも、この運動を完成させなければならないように因縁づけられた人たちもおり、分村をしたいと言う気持ちは変わらないようだ。私はこの人たちを不幸だと思い、また少々盲目的だと哀れに思う。
もちろん元加治は裕福な地区で、町民税や固定資産税の平均は全町のそれを遥かに上廻っているが、そうかといってその理由は桁外れた収入の多い階層が全町に比べれば割合多いということのためで、貧乏人の数や程度はたいした変わりはないと思う。分村が完成されたら、この人たちの収入や税負担がどんなふうに改善されるかと言うことを、この人たちは考えてみたことがあるのかどうか、私は疑問に思っている。
分村運動の行動派の人たちのほとんどが、みな一介の労働者であり、農民であり、3か年間の執行猶予期間中に生活のために他の犯罪を犯して執行猶予期間が取り消されはしないかと、すでにこの人たちが懸念しているのを見て、私はこの分村問題を実際に強行派の行動派の人たちが違う角度から見直すべきだと言う事は従来から考えてきたところである。
しかしこの人たちは、もはや分村に凝り固まっている感が多い。『何をか言わんや』と言う状態ではないかと私は考える。
だから理屈抜きでこんな人たちと関わり合って、平和になるべき全町を混乱に巻き込まれる愚はもう一度繰り返さないほうが賢明ではないかと思う訳である。私は新聞記者であり、新聞記者は大事故や政争が絶えず繰り返されていた方が、記事が常に豊富であり、取材もしやすいが、分村問題の繰り返しは「もう結構」と言いたいところで、これでは発展すべき飯能がいたずらに停滞するのみであろう。
ただ人間は多分に感情に生きるので、そのために正月だとクリスマスだとか言う無駄が楽しいもので、餅だけ食ったら宜しいという訳だけのものではないと同様に、意地張りは人間社会につきものだから、分村派が暴力や金力で強引にやって来たのならば、こちらにもこちらの虫があるぞと言って、損でも徳でも意地を張ることも避けらない。
同じことをやっても『恋愛』とも呼べば、『強姦暴行』とも言うような、正反対の表示がある通りである。
私は旧町ではリコール投票をしたことにより、充分不正な運動には断然飯能男子の意気を示し面子もたったのだから、今後またこの問題がこじれて、その時に分村させるのは引っ込みがつかなくなって泥試合なる前に、現在元加治が非力(議会が無議席を言う)で旧町の前に哀れみを持って分村を懇願している際に、町議会は前に書いた通りの段階を踏んで分村決議を行うことが大人らしいことではないかと思うが、読者町民のご意見はいかがです?
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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