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三鷹事件の裁判

『あまのじゃく』1950/9/1 発行 
文化新聞  No. 40号
  


国民の良識はどこまで

      主幹 吉 田 金 八

 三鷹判決の鈴木裁判長に寄せられた毀誉褒貶の投書が、同氏の随筆として読売新聞に出ている。
『君は共産党の手先か、共産党が怖いのか、君のような裁判官は死んでもらった方が国の為になる』という暴力団のようなのから
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 『どぎつい政治的陰謀や犯罪の横行している日本の現状に、絶望しかけていた心が、この度の裁判によって勇気を、同時に希望を回復した』
というような理解と好意に満ちた(鈴木氏の)書簡もある。
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 9名の無罪被告に対して『人を殺しても命が助かり無罪とはけしからん判決だ』との、森の石松のようなカンタンな世論が行われているとしたら、この国民は民主国家を構成する資格ゼロというべきである。
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 三鷹公判は検察陣の知能、弁護側の権威総ざらいの終戦以来の大法廷であり、世界監視の中に黒を白に置き換えることが出来るだろうか。本紙以外の日本中の新聞は、この事件を共産党の陰謀である様に報道した手前、党員9名の無罪に釈然とした態度を示さない。仮にもこの鬼畜の行為が党員の仕業であったならば、共産政府治下であっても、彼は死刑の断を下したであろう。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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