会議は踊る
コラム『あまのじゃく』1953/6/30 発行
文化新聞 No. 839
期待される議会の活性化
主幹 吉 田 金 八
28日の飯能町議会の元加治問題処理委員会の分科・交渉部会は、久しぶりに身の入った会合であった。
飯能町議会も革新的な人物が数名送り込まれたために、討論は活発であり、特に何ものにもこだわらない自由な発言が行われることは、誠に頼もしい限りである。
特に報道陣としてありがたいことは、これらの革新派は世論とともに歩こうということを信条としているから、会議の内容が直ちに町民に知れ渡ることは望むところであり、この日の会議内容などは、普通なら秘密会ものであるのが特に「ここんところは新聞に載せないでくれ、」と記者席に念を押しながら『会議は踊る』といったところまで傍聴を許してくれたのは面白い。
年配の差からくる感覚の違いは分村反対派と理解派の発言の中に、如実に現れていることも面白い。
土肥議員などは分村反対で凝り固まった方であるが、さて元加治の現状については、「私は何も知らない」と言っている。『何も知らない』議員が「元加治は分村以外いかなる条件を出されても、妥協の道はないのだから交渉の必要はない」と頑張っていのだから、この問題は行き着くところに行かなければ解決できない感が深い。
山下虎、土肥等の面々は本当に街を愛するために、分村をさせないでこの問題を収束させるという、一本気なことは了解できるが、かつての日本軍部と同じで、敵の力を軽視していたり、戦況判断が独り合点の不十分であることを感じさせられ、老人の夜歩きで危なげで見ていられない。
この人たちは鐘や太鼓で騒ぎ立てねば、敵は参ってしまったと思い込んでしまうのだから困ったものである。
元加治をがまんさせて、分村を諦めさせるために『木崎、朝日、沢辺、横田、内沼、山崎等の追放議員を起用して、この連中は元加治のために罪に落ちた犠牲者なので、地区の幹部も義理があるから言うことを聞くだろう』の松下提案もふざけたものだが、『それは名案だ俺が木崎、朝日を虜にする』と大江老人が乗り気出したのも噴飯ものである。
そんなに他愛なく木崎、朝日の両氏が動くものでもなく、ひところは町を売った汚職町議と決めつけてリコール運動した側でも、この人たちの前に頭を下げてお願いしますと言えっこない連中がウヨウヨいる。
「身命を賭して分村に反対する」と大見得を切って当選した小林町長は、反対なのか賛成なのか、どっちへかの意思表示はもちろんせず、師岡議員の発言も黙殺して、「分村のことは議員に任せたから、俺の知ったことではない」と馬耳東風であった。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】