市政貢献の筋道
コラム『あまのじゃく』1954/2/25 発行
文化新聞 No. 1177
小林市長、早く辞職すれば‥‥銅像⁇
主幹 吉 田 金 八
小林市長さんや現市議会のお歴々が、分村問題や日本セメントの餡コロ餅を丸め兼ねて、あっちにくっつけこっちにくっつけ難渋している姿を見て、市民はほとほと愛想をつかし始めた。
いま、市民の間に起こりつつある声は、早く小林市長にも退陣してもらうと同時に、市議会を解散して新進気鋭の士でこの泥沼のような市政を何とかしてもらいたいという悲痛な叫びである。
これらの声は本紙上を通じてのみか、市内至るところに充満して、『こんな事では、いつになっても明るい陽の目は拝めそうもない。早く何とかしてくれよ』と言うわだつみの声が記者の耳にも痛々しく響く。
なぜこの声に市長や市議会は耳を覆っているのか。記者は彼らのかじりつき主義の進退に、つくづく嫌悪を催すのみである。今後これらの市長、市議会の組み合わせで市政を担当していって、果たして飯能市の前途はどうなるであろうか。市民のいみじくも願う、平和や発展がもたらされるであろうかということを考えるときに、今までの幾多の市政に現れた試練で試験済みの如く、市民は非常な不安感を抱くのも無理からぬところではあるまいか。
仮に前記諸公が市民の声に耳を貸さず、市長、市議の椅子を占領している時には、数年前から現在までに集積された分村問題、細田・平岡の対立感情、リコール後の刷新同盟派の補欠選挙出馬等の、不自然なあり方から発散される毒気により、醸成される数多くの市政発展への障害が、果たして処理消化できるであろうかと非常な懸念を抱かざるを得ない。2年、3年先のことは別として、当面発生展開されるであろう悪材料を予想してみるのに、まず第一番に直面するのは、日本セメントの工場建設がうまくいかないということである。
現在の反対地主を説得して用地買収に応じさせるか、どうでも応じないときには工場敷地を多少ズラして、用地は何とかまとまるであろう。引込み線用地はどうでも難しい地主のとこは避けて、大きく迂回することで何とかなるであろう。だがその後に来るものは、現在半金受け取り済みの地主が地代もしくは家屋移転の補償料等で相当大きな要求に出るのではないかということである。
そうなると既に半金払ってあるのが、弱みとなって出来ると出来ないとの境では、ある程度の買い増しもせねばならぬような場合も生じるであろうし、その場合日セとの契約による市が負担すべき5千万円の限度の金で間に合うかどうかというも問題になる。
既に市が5千万円を支出したことからして、3ヶ年の税免除の条例による会社への奨励金還付金の限度を超えるものとして、市民の間にはたとえそれが市議会の決議で行われたものであったとしても、条例は、いわば市の憲法なのだから、憲法以外の特定会社への恩恵的支出は違法であり、市議会の不当決議、市長の不当支出の疑いありとの声もある際だから、この5千万円にも文句をつける者も出よう。それ以上の支出は到底市民の共鳴は望めないのではないかというのが、市民有識者間の定説になろうとしている。
さすれば、土地代金買い増しの不足金は会社から出してもらわねばならなくなるのは見えており、果たしてこの交渉の技量が、現市長をもってして可能かどうかという問題である。市議会のガヤガヤ、ワイワイに易々諾々、知事のお声がかかりには平身低頭の小林市長に、この大きな交渉が市民の満足する程度に押し切れるかどうかということである。
その他にも、日セを巡って今ここで予想もされる問題が提起されるであろうが、これらのことが小林市長の手腕、力量、丹心、人を動かす気概に欠けた態度等で果たして乗り切れるであろうか。
日セ問題以外にも、現下の政局からすれば国会の解散が危ぶまれている折から、仮に総選挙となった場合、私ども飯能市は分断、寸断されて血で血を洗うような政争の舞台となるのではないかと見られるが、この際の市長の貫禄、去就なども多数市民の求める方向に誤らず進退出来るかどうか疑わしいと言わねばならない。
既に保守陣営の古老、中老たちの間には、小林市長の人気は地に落ちた感があり、『早く辞めることが日セを進展させることだ』の声が取り交わされているいる事はすさまじい。
小林市長はよくその間の情勢を握って、本当に無残な窮地に追い込まれる以前に、適当に辞職することが最も彼として賢明なあり方だと思う。市政に貢献することは、積極的に困難を打開して、目的の方向に一歩を進めることもそうであろうが、自己が非力を知って人々から邪魔がられている椅子から退いて、後進に道を譲ることも消極的ながら貢献と言い得ると思う。
彼が本当に市の将来を思うならば、早急に市議会をして元加治問題を決まりをつけて、(その解決の巧拙は市民はもはや兎角を言わないではないか。何はともあれ早く解決してほしいと望んでいる)市議会に因果を含めて、(市民の非難を他に頑張ってみても、市議会の寿命はあと1年そこそこである)市議会の解散と自分の辞職を敢行したとなれば、市長は市民は小林市長を日セ招致の犠牲者として彼が銅像でも建ててもらいたいというなら、銅像くらい建ててやっても良いのではないか。
記者の所論は一見甚だ悪口めいて、お気の毒ではあるが、記者は本当に斯く思い、市民の声を代弁している信念から発した献言であるとことを、市長および市議会の諸公は感銘して戴きたいと存じます。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】