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市議親善旅行

コラム『あまのじゃく』1962/10/5 発行
文化新聞  No. 4277


”議員視察の事業は不調 ”のジンクス

    主幹 吉 田 金 八 

 飯能市議会の各常任委員会ごとの視察旅行の日程が決まった。
 この町の議会に限らず、議員、委員会の恒例行事であり、議員旅行は選挙に大金を使ってやっと当選した議員の特権だと思って、この定例旅行が一部には遊山旅行だとの非難があるが、せっかくなった議員なのだから、私はこの程度の特権は認めてやるべきだと思っている。
 しかし、名目は視察などと尤もらしいが、正直なところ視察は看板で、内実は宴会と温泉巡りの遊山旅なのだから、何も視察研究などとまことしやかな名目をつけず、正直に親善旅行と名付けて大威張りで遊んできた方が可愛らしいと思う。視察だから議会費から費用が出て、親善では市民の血税は使えないということはないと思うからだ。
 もっとも、芸者の玉代からお土産までという訳には行くまいが、ただ漫然とした遊山旅でもいろんなことを教えられることは多く、人間形成に役立つのだから、市会議員を人間教育するためにも旅費、宿泊代くらいは議員の人間研究費の意味で出してやっても少しも差し支えない。また一緒に旅をすることによって、議員同士の素っ裸な人間性が分かり、あるものは食堂車で自分が飲み食いした分を、ボーイが間違って隣席の気前の良い議員仲間の会計にこの男の分まで加えてしまったのを知らん顔で席を立ったり、宿の器具などをガメる品の悪いコレクションマニアもあったり、女中に一銭のチップも出さないで、手や足ばかり早かったり、人それぞれの特色が発揮される。
 そうした行動を通して、この男は信頼できるとか、チャランポランで当てにならないとかの品定めができるので、そうした意味でも市の金を使ってまんざらの無駄ではないというものである。
 委員会では6人のうちゴルフをやる議員が3人で、目的地はゴルフの楽しめる場所が選ばれ、後の3人は半分がゴルフをやってる間の”マ”を持たせるために何をやって暇を潰そうかと出発しないうちから頭を痛めているのであるとか。
 だいたいが芸者を買うのが目的だったり、表面は尤もらしいが、底を割ればこんなものが議員の視察旅行の実態といえる。
 以上は年中行事の視察旅行についての感想だが、このほかに特定の事案、問題についての視察旅行というのがある。
 例えば今、飯能市が現実に当面している屎尿しにょう処理場の問題で、すでに議会が視察を行っており、また今回、定例旅行にも担当の厚生委員会など嫌でもこのテーマの視察ということになるが、議会というところは何か問題があると一番先に視察旅行ということになるのは不思議な位である。
 それがまた飯能市には議会が大げさに視察をした問題は、必ず成就しないというジンクスがある。
 例えば日本セメントの誘致がそれ、市役所の建設がそれ、私が覚えているだけでもこの2つの問題が視察旅行の食い逃げに終わっている。覧山荘とか体育館、公会堂くらいの小さい問題は例外だが、これらも議員の視察研究の結果がその一つの実行設計にはいささかも関係しておらず、大概すでに決まっているものを追いかけての視察であり、実際プランには公募したり、依頼した設計者の意図に従っているようである。要すれば、飯能では前もって議会に大騒ぎをさせないで、覧山荘のように抜き打ち、おっかぶせに議会に提案、実施したものが成功し、議会に事前に協力を求めたものは、『船頭多くして船山に登ってしまう』の例が多い。
 増島市長が無血当選の名誉にかけても実現を約束させられている屎尿処理場も小山助役談などでは、予定地の用地買収も明るい見通しのようで、誠に気強いと思っているし、市民の一人としてどうしても完成させなければならない問題なので、努めて報道にも気を使って建設に協力したいと思っているが、果たして市の思惑通りに進行するかどうか、当新聞社のあの地区の担当者の報告によれば、必ずしも助役談の様でもないらしい。
 おまけに最近予定地の近所に狭山ハイツ分譲地なるものが出現、宣伝しているが、これによれば坪三千円から五千円くらいのことを言っているようである。
 もちろんこの分譲地も山林や荒地を安く買って、いろんな整地費をかけて、高く売って儲けようとするものであろうが、こうした売出し値段が商法を知らない地主農民の心理にどう影響するか。
 市が買いたい価格ではなかなか手に入らないという懸念もされる。
 私は屎尿処理場については、住民の必要不可欠な施設であり、用地はどうしても入手しなければならないのだから、地主が満足する程度に出すべきだと思っている。この問題に関しては、市議さんが意気込んで視察旅行した事業は物にならないというジンクスの例外であって欲しいものである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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