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正丸峠に遊ぶ

コラム『あまのじゃく』1956/8/27 発行 
文化新聞  No. 2375
 


魅力ある近郊観光地 ”奥武蔵”

    主幹 吉 田 金 八 

 久しぶりで正丸峠に登ってみた。
 名栗から山伏峠を通って降りた武甲口というバス停留所付近の谷川で、若い男女の一行十四、五名がビニールの風呂敷を河原に広げて楽しげな昼食風景。おそらくバス利用だろうが、こうしたハイキングは健康的で見た目も美しい。
 若い男女が大勢で山登りやハイキングに行くことは好ましいことで、そうした中に交際が芽生えたり、恋人が生まれたりすることも結構だと思う。
 記者は同行の次男を山際の石垣の上に登らせて、乗って行ったダットサンを近景にして、これら一群の人たちをカメラに収めたさせた。
 正丸峠を秩父側から上り詰めたとっつきの左側に新しい茶店が出来たが、これは峠茶屋の元祖、奥村小屋の出店で、若い娘が店番していたが、ここへも出店を出すところを見ると、奥村茶屋も大繁盛だなと思った。
 案の定、数年前の奥村茶屋とは面目一新の拡張ぶりで、元の店の前に張り出しの休屋と、白い手摺りの見晴らし台もすっかり整って、奥村茶屋も峠の発展に伴って拡張充実の一途をたどっているのが伺われる。
 『親父さん、居るかい』と女の子に言葉をかけたら親父が顔を出してきたが、どこかやつれたような顔をしているので、『店は大繁盛の様だが、親父さんは元気がないではないか』と冷やかせば『去年、脳出血をやって危なくあっちものでしたよ』との事。『それでも起きていられては結構だよ』と慰めて張り出した見晴台の上で、持参の「むすび」を頬張る。
 下界は暑かったのが、この峠の頂上に立つと山ひだの交互に重なり合った、はるか平野の続く谷間から風がしきりに吹き上げて、何とも言えないほど涼しい。
 付近に4,5軒の茶店が出来て、現に一軒には大工さんが入って大増築といったところで、西武の宣伝が物を言って、正丸峠の観光的位置がぐんと引き上げられ、相当の客が上ってくることが証明される。
 『今度はこの上の正丸神社の付近に、テンガロー村ができるそうです』と奥村主人が説明してくれる。田舎の景色が見なれた記者の目にも、この峠の風景はまんざらでもなく、特に東京からわずかの地点で、乗り物の便から見て確かに正丸峠の観光地的要素は高く評価して良いのではないか。
 峠を下りて辻堂商店によれば、『文化さん、大いに正丸を宣伝して下さいよ』と、山と里の人たちを相手に商売熱心の修一郎氏も、結構正丸に遊ぶ人たちのお陰を被っているらしく、峠の発展に期待している様である。
 『大体のお客はバスで素通りではないですか?』との記者の言葉に『なに、それでも自家用車が止まったり、歩いて登る人、最近は自転車のハイキングなども多いから、相応にはお客になってくれます』とのことであった。
 現在、正丸峠と呼べば畑井の辻堂あたりから上のことを指し、観光客が観光地とみなして風景を賞味するのは西武のバスがバンガロー入り口から頂上、伊豆ヶ岳あたりを指しているのではないかと思うが、これでは観光規模が極めて浅く、地元の収入を目的とした観光地政策としては拙劣なのではあるまいか。
 記者をして、この一帯の観光開発の当事者たらしめれば、まず飯能市では、東飯能、飯能駅前に「奥武蔵県立公園下車駅」または「入り口」の大標識を建てる。もちろんハイヤーも「吾野まで」、「峠下まで」、「頂上まで」 幾ら、幾らと大きく表示して、西武の正丸峠一本の看板に対抗的に、横手から畑井辺りまでの渓谷美に重点を置き、飯能がその起点であることを誇示する。
 横手辺りから左側に展開する高麗川の浅いせせらぎと、その清澄な流れは、どんなに宣伝しても空宣伝と言われない価値があると思う。
 だから、途中の景勝地にはそれぞれの名称と、曰く因縁を表示してハイカー、オートバイ、自動車、観光バスの客をちょっとでも下車させる手を考えるべきではあるまいか。
 今のところでは車で『あぁ、いいな』と乗客の頭にひらめいても、車を止めるべき口実も誘惑も感ぜしめないで、いたずらにお客を逃しているというのが現状である。
 奥武蔵渓谷は飯能に始まって正丸峠で終わる、 延々四里半の奥深いものであるという印象、認識を観光客に与える、台不動あたりから、これからが渓谷入り口であることを、強く印象づける、施設、標識をデカデカにやる必要がある。
 これによって横手とか東吾野、吾野宿あたりの茶店、飲食店、土産物屋もそれぞれ生きる道も生まれるであろうし、吾野から奥の旅館なども大きく恩恵を受けることになるのではないか。
 西武は運賃収入が目的だし、途中の住民、観光業者はなるべく早く電車から客を降ろして、別の乗り物に乗せて、寄り道をさせて、金を落とさせるのが目的であり、当初には相反するこの両者も、大発展の後には持ちつ持たれつ、お互いが生きる道となる訳である。
 ただし、こうした一貫した観光政策となると、飯能と日高、東吾野と吾野と沿道の行政区画が別個では、総合的政策は行い難い。
 こうした意味からも、今度の町村合併は決して無意味ではない様な気がする。また、名栗渓谷を含めた奥武蔵も当然同時に施策されるべきこと勿論である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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