駆け引きのない町長
コラム『あまのじゃく』1951/8/6 発行
文化新聞 No. 137
孤軍奮闘、信念に終始
主幹 吉 田 金 八
二日午後、「元加治地区民が大挙飯能町の役場を訪問」の報に、記者も駆けつけて見た。
そんなに大勢で来ても、町長室に入りきれまいし、当然代表何名かと町長室で面会するものとの予想に反して、増島町長は会議室で全部の者と堂々の引見である。
しかも別の意味でのワンマンで、そばに役場側は一人も見えず孤軍奮闘、最後まで分村反対の立場を捨てない信念に終始した事は、分村の是非は別にして、頼もしい限りであった。
地区民の中には心なき者も若干あって、非常に下品な非人格的な雑言や野次も飛んだが、町長は顔色一つ変えず温顔で応対し、一刻な平素と似ぬことも上出来であった。
非人格な野次というのは、例えば町長は「町政を聞く会」等で他地区には出かけるが、元加治にはほとんど出向しない、との問いに「私は健康保険の事で二、三回元加治へも行っている」と答えるや「健康保険の事は商売だからだろう」とか「儲かるからだろう」とかの嘲笑的ヤジが飛んだ事は残念であった。
分村を認める決議が町議会を通過した場合には、反対を表明の町長も議会の決議を尊重するとの言質を取った事は分村期成同盟側のプラスだったが、その際町長の方から、逆に分村が否決された場合に、あっさりその決議に承服するかどうか、一本切り込んだら面白かっただろうと思う;。
町警察が警備に関して全然手を出さなかったことも、賢明な処置であった。
今後も運動の進展について大量の地区民が運動に参加する場合も予想されるが、良識と名誉ある方々の指導に任せて警察の介入はつとめて避けた方が地区民を刺激しないことになろう。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
【このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします。】