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民主主義の前進

コラム『あまのじゃく』1954/1/6  発行 
文化新聞  No. 1124


頑迷な保守と保守の闘争に終止符

    主幹 吉 田 金 八

 昭和28年の年末から本年初頭にかけてついに最後のピリオドを打った元加治の分村問題は、暴行事件が併発したために、日本中の視聴を集め、新聞の紙面を賑わしたが、この問題の本質は大した問題とすべきものはない。
 旧町の反対派が、確たる分村の理由はないと言ったことも正しい。税金をウンと払うが、施策の還元がないというのは自分の勝手な言い分で、社会主義と言わないまでも、社会政策を標榜する現在の政治機構では、理由にならない。
 こんな理屈が通るならば、東北地方は税金を払わないのに、施設費がかかるから、日本から切り離すという論も通るし、平仙は「俺は俺で町村から独立する」といいだすかもしれない。保護世帯の多い町内は邪魔者扱いにされ、何も好んで奄美大島を日本領に復帰させる必要があろうかということにもなる。
 平仙のレースも買手があって繁盛するのだし、八高線駅前の土地が1年足らずの間に、3倍にも5倍にもハネ上がるのは、土地を持っている人の力で上がるのではなく、その付近に蝟集する住民や運行人のおかげである、という社会連帯の観念を忘れた身の程を知らぬ身勝手だということである。
 飯能に隷属していたのでは、元加治地区としての自主性がないと考えるに至っては、まさに噴飯ものである。
 これは国民の一人一人が議員になって、国会や議会で言いたいことが言え、いくら多勢が反対しても、自分の意見が押し通せる奇想天外の機構ができない限り、元加治の満足する自主性は実現すまい。
 こんなことを考えれば、元加治の分村運動など愚にもつかぬ事であって、運動する方も運動する方だが、反対する方も反対する方だと言う事になる。
 特に『国策に背馳するから』などと、真面目くさって口実にするなどは笑止千万で、1億玉砕も国策であったし、平和無防備も憲法を改正してまでの重大国策であったのが、今度は一変して、自衛力軍備となり、だんだん侵略的軍備になりそうなのは国策ではないか。その猫の目のような国策を唯一のよりどころとして反対した連中の顔が見たい。
 だから、知事調停で国策はどうでも市という看板を掲げたいために、町策が国策に優先した訳である。元加治問題がもっと、民主主義の、あるいは社会主義の理想と欲求に出発したものだったら、実に立派なものであり、旧町内の正義派知識人、民主主義陣営から盛んな支持があったに相違ない。
 ところがこの戦争は、攻める側も守る側も頑迷な保守と保守の闘争であった。もっとも一時は元加治側が黄金臭をプンプンと発散したために、金権と暴力に反感を感じて旧町内と正義派が立ち上がって、分村派を窮地に追い込んだが、これとても浪花節的な義憤から立ち上がったもので、両陣営とも階級的、思想的なバックボーンを極度に嫌っており、分村運動自体もさらにまた、これを巡っての複線的動きにも全然それらしきものは見られなかった。
 最後に旧町内の知識層が『つまらない喧嘩はほどほどでやめたら』と、分村已む無しの厭戦論を唱えたのも、決して元加治に同情した訳ではなく、愚かしい両者に愛想をつかし、こんな馬鹿馬鹿しいことに町民大衆が巻き添えを食う事を避けようとの気になったまでである。ただこの運動のために啓蒙されたことは、ボスや顔役も町民の意に反して闇取引が行えないということを、町民もボスも顔役も十分認識したことで、これは民主主義の大きな前進であろう。
 弱い犬が一度喧嘩に勝って自信を得たようなもので、今後はこの自信を更に役立たせて、分村事件のような封建的問題でなく、もっと大衆の生活と自由に関連のある問題で、大衆の力を高揚し、成果を得たいものである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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