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失業対策にのみ頼るな

『あまのじゃく』1950/4/21 発行 
文化新聞  No. 12


 

就職開拓は自力で

       社長 吉 田 金 八

 最近失業者が特に目立ってきた。各職安の失業登録者の激増、「職よこせデモ」の活発化等は失業問題のただならぬ様を物語っている。
 中小商工業の不振は、工場職場の閉鎖を増し、失業者が多く街頭に放り出されるばかりでなく、従来家庭にあって子守か庭いじりでもしていればよかった老人まで、家計のために労働市場に追い込むことになり、就職戦線の前途はまさに暗澹たるものがある。
 近代社会に多少の失業者がある事は経済学の公式であり、資本主義社会には欠くことのできない宿命である。ただ問題は失業者の量である。アメリカのごとく裕福な国家に適量の失業者のある事は、商店が多少のストックがなければ商売にならないと同じことで、失業者は労働商品のストックであり、自動車の掃除・休養・給油をする駐車場モータープールの如きものであり、失業期間中は国家より失業手当をもらって焦らずに次の就職を待つことができるが、破局経済戦上の日本の失業者の場合、問題は一層深刻悲壮なものがある。
 失業者自身は打ち続く戦争と不景気で竹の子生活のどん詰まりの状態にあり、国家国民もきりなく増加する失業者の群れを救済する能力も限度があり、せっかくの失業保険の便法も破綻してしまうのではないか。数ヶ月の給料遅払いの挙句、会社が倒れて失業の荒海に放り出された労働者にとって、失業はモータープールの如き気安いものではなく、家族七、八名も抱えて一銭の貯えもなく質草もないとしたら、それは同時に死へ通ずる場合さえあり得る。痛ましき世相であり現実である。しかも、如何にしてもこの悲惨を切らねばならぬ責任と運命が我々に課せられているのだ。
 この際、切実思うことは職業能力の有無の問題である。特殊技能を有することは失業の機会をある程避けうるし就職の機会もつかみやすい。
 次に職業を選ばないことである。娘さんは女中を嫌って給料は安くても会社通いを狙うらしいが、かつての皇族、華族が洋裁店、八百屋も辞さぬ時代故、仕事の選り好みは我慢せねばならない。特に創意に富んだ頭の良い人は、自分の工夫で珍商売を発明するも良い。古今の成功者の例を見てもこれらの人々は皆前人未開の領域を切り開いた。
 国家のおざなりの失業対策に期待せず、自分で打開の勇気を持たねば失業問題は解コラム『あまのじゃく』は埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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