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時間表のような人生

コラム『あまのじゃく』1963/9/25 発行
文化新聞  No. 4576


どうする?夫婦の性格の不一致

    主幹 吉 田 金 八 

 今朝、食卓で見た新聞(よく見たら昨日の産経新聞だった)の悩み事相談欄にこんなのがあった。
 亭主は働き者で人好きな交際家、商売は繁盛しているが、派手と放漫な性格による浪費で、次々と商売を拡張し、親類・友人などに借銭が増えて、行き来の出来ない親類も出来て将来が案じられる。
 女房は細やかな性格で、堅実な家庭経済の設計を立てたい、といろいろと忠告するが、その時は承知しても三日坊主でいつか高い電気製品などを月賦で買い込んでしまう。
 この女房が何かの病気で入院した時、病院で知り合った人が親切にしてくれて、その人に気が引かれるがどうしたらよいかという人生相談であった。
 回答者は「月並みな借金があっても商売が繁盛しているというのは救いで、ご主人に見込みがあるのだから、あなたの舵の取り様でいくらでも家運の挽回は出来る。他人の男がちょっと親切にした位で、その男の本性は見抜ける訳はないのだから、そんな浮気は賛成しない。ご主人大事にもう一辺努力しなさい」と言った事であった。
 もう10年以上にもなろうが、この種の人生相談はどこかの新聞がトップを切って始めたのだが、世の中には思案に余る悩み事の持ち主が多いということと、誰もが大体共通の悩みを持っているというところから、この種の訴えやそれに対する回答が面白く興味を持たれ、今ではほとんどの新聞にこの欄が設けられ、ある種の雑誌にはこの相談事を主としたものさえ、現れたことすらある。
 いかに人智が進み、文明文化が爛熟しても、人間の世界は男女の恋愛と痴情の葛藤がつきもので、ある意味ではこうしたことが人類の進歩発展につながると言っても過言でない。
 私の女房が「どこそこの旦那さんは、住居は田舎にあって、店は町にあるが、7時といえば必ず自家用車でお家に帰り、10年もの間、ものの30分と遅れて帰ったことがない。 その位だから商売も繁盛し、家庭も円満で、お子さんも立派にそれぞれの学校に良い成績だ」とさも羨ましそうに言う。
 「へぇ、まるで汽車の時間表のようだな。そんなのが羨ましかったら、お前も駅長さんか何かの所行けばよかったな」と冷やかした。
 そんな時には、私はいよいよ『あまのじゃく』になって、世のルーズな旦那さんを礼賛する。
 「俺の目から見たらそんな鉄道省の汽車みたいなダンツクはゼロだし、そんな男がいいなんていう女は情けない。汽車でも時々脱線したり、衝突があるから新聞やテレビが飯になるので、人生も脱線やエンコがあってロマンがある。もし人間がみんな汽車のように定時に発着して事がなければ、人生には詩もなければ芸術も生まれない。文豪も英雄も大発明も戦争も、元はと言えば人間のロマンの狂い咲きだ」と女房の前だから勝手な熱を吹き上げる。
 引用した人生相談からは脱線したが、私の見るところでは、この相談の主は全然性格の違う夫婦らしい。
 女房の目から見たら危なっかしい亭主に見えるが、私の見るところでは全く前途有望な商売人亭主である。
 この奥さんこそは全く間違った結婚の相手を選んだもので、どこぞの会社の月給取りが相当していた訳である。
 私が回答者なら「気が合いそうもない夫婦ならトットと別れて、病院であった男と一緒になる方が良い」と回答してやる。
 そうかと言って、私の女房など口と腹は別で、私を日本一良い亭主と思っている事は判っており、「駅長さんの方に行け」と言っても「今更そんな訳にはいかない。そんなことを言うなら、もっと若いうちに言ってくれたら」とか何とか言い逃れるに 決まっている。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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