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何でもうまい

コラム『あまのじゃく』1953/6/28 発行 
文化新聞  No. 807


食物の好き・嫌い‥‥一生の損では⁉

    主幹 吉 田 金 八

 白米が200円になったというのに、外米はまだ受け取り手が少ないというのは不思議なものである。
 戦争中はお芋や雑炊ばかり食っていたことを考えれば、外米が旨いのまずいの言えた筈はないのであろうが、さて人間も贅沢には慣れやすいもので、ジワジワ、段々と口が驕りつけると、まずいものが鼻についてくるらしい。
 記者は食物には贅沢は言わない式で、毎晩焼酎を一合から二合やる。魚も何でも御座れで、『うまい、うまい』とパクつくので、家人にとってはすごく世話のない人間だし、何でもこれといって不味いものを知らないし。どんなご馳走を出されても、取り分けてうまいとも感じない。ご馳走をする側では張り合いがないことをおびただしいだろう。
 だから魚の本場四国に2年も住んでいても、魚の名前など一向に知らないし、洋食について出る材料なども、一つも名前を知らないから世話はない。
 記者の一番うまい、食いたいと思うのは、ニンニクの生に味噌をつけて喰うことだが、これは悪臭がするので自分では平気だが、お他人様を不愉快にすると思って控えている。
 過日、半年も自分の家を一歩も出ないで済んだ頃に、毎晩焼酎にニンニクを楽しんでいた頃、家に出入りするものは、臭いと思っても我慢して、不愉快な顔をしないのを良いことにして、平然として居たのだが、何かの事でどうしても東京に行かねばならぬことができて出かけていった。
 電車の中で隣の席に来る人がすぐ退いてしまうので不思議に思っていたら、東京近くになって混み合ってきて仕方なしに、隣席に座った人が、ことさらに不愉快そうに記者の顔をジロジロ見ながら、ハンケチを口に当てていたので、「ははぁ、俺が臭いのだな」と初めて気がついた。それからは市電にもバスにも乗るのが気が咎めて、高いハイヤーで用を足して早々に帰宅したことがある。
 以来、好きなニンニクも他人への迷惑を考えて食わずに我慢している。たまに少量やったときも、親しい友人に「臭うかい」と念を押して対談するようにしている。
 話は外米からニンニクにそれたが、食物に好き・嫌いのある者は、一生にはどんなにか不幸だか知れない。
 軍属で半年ほど集団生活をしたが、大勢の中には肉が嫌いだとか、刺身が喰えない、甚だしいのは「おしるこ」の嫌いなのが居るのには驚いた。
 どんなものでもうまく食えるような性質(訓練でそうなるものかどうか知らないが)を持っている記者は、非常の時には何時もうまく生まれ合わせたものだ、と1人でほくそ笑むのである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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