『青い鳥』を逃がした飯能町
コラム『あまのじゃく』1953/11/30 発行
文化新聞 No. 1051
余りにも無策な町指導者
主幹 吉 田 金 八
『文化新聞』は元加治分村問題で旗を上げて、どうやらになったから『分村様々』で、この紛争がいつまでも続くことを希望し、また飯の種にしている、とよく冷やかされる。
事実、この批判は当を得ており、現在飯能付近の住民からは、三度のご飯と同じように親しまれ、よく記者が手前味噌に言う「本紙が3日も休んだら、読者は朝飯がまずくなり、一部には虫を起こす人もいるだろう」と冗談が言える存在になったことも、分村事件に負うところが多いことは認める。
新聞記者など人の悪い商売で、どこかに火事か人殺しでもあれば、嬉しがって飛んで行く商売なのだから、良かれ悪しかれ事件が続発することを歓迎する。その意味からすれば治まりそうで、なかなか治まらぬ分村問題は、文化新聞とすれば、最大のウクライナ的穀倉地帯との世間の推測も一半の事実を伺っている。
しかし、記者は別な意味でこの分村事件が、早く終末をつけてくれれば良いと願っている事は、読者にとってはあるいは意外とする所かもしれない。
記者が、分村の紛争は程々でやめてもらいたい、というのは体裁の良いお為ごかしで、「町の発展のため」ということではなく、記者は自ら称して「日本人」「日本人の旅人」と言ってるくらいで、無意識には郷土への愛着、愛町意識があるかは知らないが、意識しては日本中が我が家なり、どこに住んでも人情には変わらないと思っているから、『飯能人』や『元加治人』が眼に角を立てて領分争いをしている気持ちが呑み込めず、不思議でならないくらいのものである。
だから、我が住む町や村が、いくらゴデゴデしようと我関せずで、もしそのために自分が住みにくくなるようなら、七里ケツパイ旅の空に飛び出すくらいの覚悟であり、郷土や国家に固執する人たちの眼から見れば甚だ愛国心、愛郷心のない不心得ものかもしれない。
その不心得者の記者が、「早く分村問題が落ち着いてくれ」と柄にもない菩提心を出した理由は、この分村問題のゴタゴタが続く限り、新聞もそれを追わねばならず、まだ手近に取材したい問題がゴロゴロしている限り、遠くから骨を折って種を拾うより、手近な種を弄り回す事の方が容易なので、人間の弱さでつい手の伸ばし易い方を手掛けることになる。
これは、言わば良い新聞を作るためには好ましいことではなく、マンネリズムに墜しやすいという理由からである。
そんな訳で、飯能町長が市制という題目を担ぎ出したお陰で、分村との投げ違いの羽目に追い込まれ、大沢知事も仲裁の潮時と見て乗り出したのを見て、ヤレヤレと言った気持ちでその結果を待望していた。
27日の町議会が、この折角の調停案を蹴飛ばしかけたのを傍聴席で拝見し、『オヤオヤ、これはまた騒動が収まりそうもない』といささかゲンナリしてしまった。
新光の帰属に関しては、住民の意思に任せて、飯能でも元加治でも好む所に赴かせる事で、町議会はアッサリあの調停を了承すべきではなかったろうか。
その事が、(私は構わないが)飯能町民は難問題から肩抜けとなって、幸福になれるのではないか。万一あのような空気で押していく限り元加治問題はいつまでも紛争の種をまき、市政は勿論のこと、折角出来上がったセメント会社も逃げ出すのではないかとの悪い予想も成り立つ。
飯能も悪い指導者のために、あたら青い鳥を逃したのではないか。
記者は、セメント会社が決して青い鳥だとは思っていない。町の主だった人達は、セメント会社の将来を、あたかも福の神のご入来の如く騒ぎ立てて、双柳や浅間の人達が躍起となって「賛成」「反対」を叫んで、村中が割れるようになっているのは、セメント袋が砂金の袋のように見えてるからではあるまいか。
別に今度できるセメント工場のみが工場ではないので、日本中至る所にそれにも増して大工場があるが、そのお陰で町なり市なりの全体が楽になった話は聞かない。
記者はセメント会社の出来る事は国策(これは帝国主義的、全体主義的なものではなく)として、日本は今後農業立国では立てないことが分かっているので大賛成であり、飯能に限らず、どこにでも工業が与らねばならぬと思っている。
孤立する軍国主義から言えば、農は国の元かもしれぬが、こんな狭い領土で八千万人の人間を育てていくためには、寸尺の土地と技術から、巨額な生産を生む工業国となり、食料は中共からでも、朝鮮からでも、米国、タイ、ビルマ等の広大な土地と、恵まれた日光で無尽蔵に生産される国々から輸入すべきである。
農民と土地という戦争中のお題目を信じきって、食料自給自足を目標に、寸土も離すまいという心得は、あまりにも狭い、頑ななものではあるまいか。
セメント会社に土地を売ることを拒む〇〇の気持ちも、農民の気持ちも〇〇〇土地を元加治に渡すとまいとする飯能町議会の行き方も、あまりにも狭量的に記者には感じられる。
勿論〇〇〇〇〇〇は元加治村を〇〇ろうと言う人達も〇〇〇ある。
※ 保存版の紙面の汚れで、一部判読不能の部分があります。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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