こっちもごめん !

コラム『あまのじゃく』1953/6/3 発行 
文化新聞  No. 783


もう分村論議は「アキアキ」

    主幹 吉 田 金 八

 元加治分村は文化新聞の虎の子だろうと冷やかされる。
 事実、ガリ版刷りから発足した本紙がどうやらこうやらタブロイド4ページの活版日刊紙まで漕ぎ着け得たのも、分村事件が新聞の存在を世間に周知させたといってもよいであろう。
 勿論、記者が過去3年間、ありもしない資産だが丸裸になるまで注ぎ込んで、昼夜を分かたぬ頑張りを続けたことを思えば、分村事件がなくとも、ある程度までは現在に近い物に仕上げられたであろう事は疑うべくもえない。
 しかし少なくとも飯能地方民の何割かが、馬鹿にしながらも毎朝の配達が待たれるほど、『不必要な必需品』と言う面白い存在になるには、本紙が「分村は文化新聞の専門」と東京紙の記者に冷やかされながらも克明に分村事件を報じ、論じ来たったことに起因する事は自他共に認める所である。
 「分村問題はもう嫌になった」と今は町民の誰もが口にしながら、さてこの問題を考えずにいられないとこに、この問題の深刻さと町政、ひいては町民の生活への重大な関連があることが立証される。
 3丁目の座談会は期せずして「分村問題」に議論が沸騰したればこそ座談会に花が咲いて、本紙もそのことで二、三日紙面を賑わさせてもらったが、「町田議長は足の悪いくせに町議会などに出るから他人様に何とか言われるのだ」と奥さんや令息から避難攻撃を受け、ご円満な家庭にあわや波風が立たんとした?とか、罪深い分村ではないか。
 反対に昨夜の原町の座談会は「分村問題に触れぬ」と言う鉄則を守ったために、無味乾燥な議会報告に聴衆は居眠りをして、あっけなく散会したと伝えられる。
 事実、飯能町政のどれもこれもが元加治問題と直結しているので、その関連なしに町政は語れない。分村問題抜きで町政を語る事は骨抜きになって、気の抜けたビールの如きものとなる事は当然である。
 今町民の誰もが町の税務課員の駆り立てるような、異常な熱心さの納税督促を食って眼を白黒させているが、これもまた元加治の一千万円にも達しようとする税不納と、税金は1銭も入らないと言うのに、橋でも作ったらと言う小林町長のご機嫌取り政策の実行で、おそらく造り上げるには一千五百万円もかかるであろう野田の中橋工事を遂行するために、町に金がないので徴税強行を行っているあおりを食っているわけである。
 だから町民は「どっちでも良いから早く解決せよ」と言っており、おそらく過日の世論調査もその声を忠実に反映するのではないかと思われる。
 文化新聞も正直なところ分村には飽き飽きである。こんなことが続いている限り、易きにつきたがる人間の習性から「今日は面白い記事がない」と言う困ったときには、分村問題をこね回すことにより、ちょっと元加治地区にでも出かけて行けば、何とかトップ記事に間に合う材料ができると言うものである。
 だがこんなことでは新聞として野心的な取材から離れ勝ちで、いわば自慰行為に足踏みしているようなもので、新聞編集者の良心からいささか引け目に感じられる。
 正直なところ、こんなくさくさした問題は早く解決してもらって、もっと飛躍した問題と取り組みたいものである。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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