不景気即応の新生活体制に
『あまのじゃく』1950/4/14 発行
文化新聞 No. 11号
身軽で健康な生活
社長 吉 田 金 八
よくこれからの景気はどうなるかとのご質問をいただくが、日本が敗戦国であると言う事と、狭い国土に一億に近い人口を持つと言う現実を考えてみれば、楽な生活・豊かな日常が待ち受けているとは考えられない。
遠い将来、日本人が本当に平和を願う国民であることが世界の人々に理解され、誠実と勤勉、手先の器用な特質を買われて自由に世界の商品市場、労働市場に出入りできる日が来たら別として、現在の日本の国際的立場においては、生産力が衰えれば国内が飢餓状態になるし、反対に農業工業の生産力が非常に増大し国内事業を上回ったとしても、それが必ずしも喜ばしいことであるかどうかわからないデリケートな問題を噛んでいる。
結論は、不景気は当然離れないと覚悟して、不景気でも何とかやっていける個人個人の体制を整えなければならないことだ。不景気にも驚かない生活とはどんなものかといえば、第一に係累を少なくすることである。産児制限を有効に行って、子供を多くしないこと。次に一家全員がいつも丈夫でなければならない。お医者も同業者が多いし税金の過重であえいでいるから、直したい一心で血迷った患者が技術より商売の方が上手な国手にでもぶつかったが最後、この薬、この注射で骨までしゃぶられない限りはない。
戦前の不景気時代に農村を調査したら、医者の薬礼と嫁支度が大部分の借金の原因だとあったが、貧乏生活には体の弱いのが一番禁物である。さりとて生身を持っておれば、病気は避けられないから、不幸病気になったら早期に手当てすることと病気の種類、性質に応じて適当な医者を選ぶことである。医者の方では患者の脈と財産を診断するだろうが、病人のほうも医者の手腕特色と同時に、腹の中を診断する必要があろう。
病気になったらどうするかと言うのは次の策で、要は病気にならないことが先決である。病気にならないようにするには健康法や衛生を守ることをもちろんであるが、第一番に精神的な負担を避けることである。何事も楽観的に解決していくこと、世間の思惑にこだわらず、自由闊達に日常を送ることもまた、健康生活の要素だろうと思う。戦争や火事に会ってみて家財道具や衣類が荷厄介であることに気づいたが、元来人間の便宜のためにある財産が、人間を不便にしておる日常ではあるまいか。
戦争によって男子の衣生活はかなり着たきり雀の状態になったらしいが、これで結構ではあるまいか。男子は夏冬二通りの労働衣と社交衣があればたくさんである。ところが女の方はモンペから洋服に進展するかと思ったのが、終戦後反動的に振袖・着物趣味に逆行しているかの感がある。いま街を歩いている女性の多くは洋装であるが、彼女たちは決して洋装をもって満足しておるわけではなく、目下経済的の理由で洋服で我慢しているだけで、相変わらず着物に対する憧憬は去らない。
社会的に解放されたはずの女性が、依然として服装生活、家庭生活に脱皮できないとすれば、今後きたるべき不景気の嵐の前に日本の大衆は心細い姿をさらしているものと言わねばならない。
最後にこの際なんでもかんでも断ち切る必要のある事は、冠婚葬祭の無駄である。もちろん喜びを喜び合い、悲しみを慰め合う事は貧乏になればなるほど必要であろうが、ただ問題はその際に付随する、世間にのみこだわりすぎる無駄な服装や飲み食いの金品のやり取りである。最近婦人会、部落会などでこれらの冗費節約を申し合わせ、実行せんとして居る事は結構であるが、依然として実行されていない事は残念である。しかも無産階級ほどこれらの封建制が強いように見受けられる。
これからは結婚式でも何でも好きなもの同士は挙式も何もせずに一緒になってしまって良いと思う。いかにいっぱい金をかけた儀式をしても、夫婦親子の折り合いが悪くて離婚する例は数多い。かく言えば、野合結婚を奨励するなどの非難を受けようが、結婚はいかに理論や体裁で高尚ばって見ても、結局は男女の性的結合に終始する事に変わらないのだから、形式に無駄な費用をかけたら良いと言うわけでもない。
不景気の嵐はまさにひしひしと忍びつつあり、国民大衆諸君、その時に泣きべそを書いても始まらない。今から貧乏対応の生活様式で不景気に備えよう。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】