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堂々の決戦

コラム『あまのじゃく』1954/8/5 発行 
文化新聞  No. 1247


正当なストライキは|躊躇《ためら》わずに

    主幹 吉 田 金 八

 近江絹糸の争議も泥沼に落ち込んだ感がある。中労委に調停を依頼して休戦状態にあるべき機関中、労組幹部の解職を発表するなど、発砲事件が生じては事が話し合いでは収まらず、再び実力行使に逆戻りするのが当然である。この争議は遠くから眺めていても、夏川社長に近代的実業家としての素質が欠けていることはしみじみ窺われる。
 夏川という男はどこからどこまでも吉田茂によく似たところのあるワンマン型らしい。
 国民に吉田茂の退陣を望むこと切なるものがあるが、まだまだ力の集結が不十分で、彼を総理の椅子から追い払うことができず、総理は箱根の行在所で悠々自適、避暑を楽しんでいる。
 世論は吉田の替え人形として、近江絹糸の夏川社長が労組から小ッピドイ目に遭わされて、産業界から放逐されることを面白がって見ている。
 夏川を打倒することが出来たとなれば、さらに国民の力の結集と戦術の賢明な展開で、吉田内閣を打倒することも出来るわけで、この争議の成果は「団結は力だ」と言いふらされている言葉を、国民大衆に再認識させることになる。
 だから、この争議の成行きは重要である。この争議を勝たせることは、吉田内閣を倒すことが出来るという自信を、国民に奮い起こさせる事である。
 いずれにせよ、吉田も夏川もよくに似た頑固形である。ただ、解しねるのは、全繊の新潟大会で打ち出された近江絹糸争議対策のうち、 ILO を提訴という一項目である。ILO というのは何だか知らないが、おそらく外国にある国際的な労組か経済の組織機関の名称であろうが、 ILO が労働者の国際組織であるのなら、一応は理屈もあるが、仮に紡績業界の団体ででもあるのならば、問題は複雑である。
 日本の紡績工業の労組条件はこれこれしかじかで、斯くも労働過重による低コストでソシアルダンピングだと泣訴する事はどういうものであろうか。仮に(またしても仮にであるが) ILO が国際資本家団体であったとして、全繊が近江絹糸及び日本の紡績資本家を痛めつけるために、それらの圧力を利用することは、かつての支那が弱力だった当時、よくこの手を使ったものだが、目的のために手段を選ばないという手は感心しない。
 「スト」結構である。会社が反省するまで工場の機械を止め続けることは労働者の権利として、世界の資本主義国でも民主主義国でも認められているところである。この方法で堂々と決戦すべきである。
 正しい労働者の要求には国民全部が声援を送るにやぶさかでない。
 全繊も日本人同志の正しい支持を確信して堂々と戦って貰いたい。相手の欠点を敵に密告して、その圧力で相手に致命傷を与えようと言う様な手は、大東亜戦はアメリカの物力に負けたとはいえ、まだまだ衰えてはいない。日本人の正義感にピッタリせず、むしろ労組側に不利となるのではないか。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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