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物と値段

コラム『あまのじゃく』1954/9/13 発行 
文化新聞  No. 1276


実際の地域格差はホンの僅かだが……

    主幹 吉 田 金 八

 飯能は物が高いという定説があるが、これは必ずしも飯能に限ったことはなく、所沢に行けば所沢も物が高いと所沢の住人は言う。誰しも自分の仕事より他人の仕事が楽に見えるのと同じであろう。
 しかしデフレになると、投物整理品というものが出るから、相場でない安いものが買いようでは買えるから、眼を光らせれば同じ収入で豊富な生活を楽しむことも出来る。
 生産過剰とか生産費を割った投物とかは、自由主義の欠陥で社会主義の計画経済では、そんな不合理はないと言うが、まだ自由主義、資本主義の仕組みが厳として社会を仕組んでいる以上、その自由主義、資本主義の欠陥に乗じて、抜け道を探して安いものを買い物をすることは賢明であろう。
 蛍光灯ばやりの時代だが、一流メーカーの中型蛍光管は、全国どこでも1本350円だというが、無名品を神田で買えば150円で買える。
 一流メーカーのものとは品が違うと言うかもしれないが、この程度の精度のものは一流でも二流でも、そんなに品が違うとは思われない。
 牛乳の農家渡し値段が引き下げられたのに、小売り値が変わらないというのは不思議だ、と主婦の不満が投書にも出るが、西武町は入間川の方の牛乳屋が13円で売っているので、飯能の牛乳屋も、運賃をかけて持って行って13円で対抗している。
 運賃のかからない飯能が15円で、遠くに持って行って2円安く売ることになる。
 13円で売るぐらいでは生産費を割るほどでもなく、現在の農家からの買い取り値段からすれば充分採算は取れるところだが、少数業者の協定が何時まで15円の協定を維持できるか時間の問題である。
 闇米が一日一日と安くなって行く、川越在の田場所では一俵5千五百円、一升当たり百四十円、台風が無事なら一段と安くなって配給米と同じ値になるのではないかと言われている。
 政府もこの良い潮時を捉えて米を自由販売に移すべきではなかろうか。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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