『あまのじゃく』の起源
『あまのじゃく』1950/9/14 発行
文化新聞号 号外
『一網打尽』を『あまのじゃく』と改題
主幹 吉 田 金 八
『一網打尽』と看板だけは威勢を張ってみたが、さて、この網は小さすぎたのかボロ網のせいか、大した魚も引っかからない。
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さすが鉄面皮の新聞屋でもいささか面映ゆい次第、というわけで今回より『あまのじゃく』と改題し看板と内容をすり合わせたい。
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お祭りの着物を母親がこれにしろと言えばあれが良いとすねる。本当にお前は「あまのじゃくだね」と娘をたしなめる。‥‥事程左様に‥‥私は大東亜戦の真っ最中、勤め先の使いで軍官の中心に出入りして、役所同士のセクショナリズムに呆れかえり、「この戦争は絶対に負ける」と予言して、宿谷文三社長(*弁護士、当時の上司)から「吉田君でなければバッサリ切ってしまう」と叱られた。
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便乗するのが大嫌い。大政翼賛会や国民貯蓄にソッポを向いたおかげで、戦争中は中国、四国、九州を思うままに飛び回り、預金封鎖にも一銭の被害をもなく、政府や銀行をあてにするやつは「馬鹿者さ」とうそぶいて通った。
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=キジア台風来たる= 間の抜けた気象台がヤッキと宣伝するあたり、『この台風絶対に大した事は無い。少なくとも関東地方は外れる』ものと「あまのじゃく子」は反対を張る。さてこの勝負どちらが当たるか?
(*編者注)
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】