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ニセ札でも何でも…

コラム『あまのじゃく』1962/10/23 発行
文化新聞  No. 4291


外国などの大掛かりな組織?

    主幹 吉 田 金 八 

 『所沢の一読者だが、社長に会いたいがお伺いしても良いか』との電話があったので、何事かならんと待ち受けていたら1時間ほどしてやってきた。
 用件は『商売用に長期に資金を借りたいが、新聞を通じて調達の方法について相談に乗ってくれ』とのことであった。
 私が先ごろ、新聞に『お金をお貸しください』を書いて、匿名協力者を得たことから、これはうまい手と思いついたらしい。しかし、『金の貸し借りは信用が土台だから、あなたに信用があるかないか。信用と言う事は、自分をよく知ってもらう事に通ずるもので、私は新聞を通じて自分というものを世間に理解して貰う事が出来るから、あの芸当が出来るのだが、あなたの場合、私のように行くかどうか、自分の名を公然と示して、金を貸して貰いたいと報告できますか?』と聞いたらそれなりに相当やっている親類もある事だし、名前は出せないと言うことであった。
 名前も知らず、人柄も知らない者に大金を貸すほど世間は甘くない。私の場合は千人に一人、一万人に一人の例外で、私が上手くいったからといって、誰でも同じようには行くまい。広告は出すのが商売だから、効果に構わず出せと言えば出しますが、効果のない事が判っている事で金を散財させるのは冥利が悪いから勧められない、と説明したら、それなら考えます、と言ってその人は帰って行った。
 私は所沢に新聞を売ってるが、読者は少ない。 記事に対する反響もほとんどない。勿論、広告もたまにしか申し込まれない。その所沢の読者から、たとえどんなことでも新聞社を訪問して相談してみようと頼られたことは嬉しいが、そんな訳でその読者には用が足りなくて申し訳ないことをした。しかし、その人が帰ってから、家の者は今の人はニセ札捜査で来た刑事さんではないですか?と聞かれて、金が欲しいという要件で来訪した人が、本体の要件はそっちのけで、今新聞で騒がれているニセ札の話題で過ごしたことを思いついた。その人が「ニセ札事件で今、所沢の印刷屋は片っ端し洗われている。川越が済み、所沢の番になったらしい」ということから、ニセ札ならこっちは本家だとばかり、毎度の例で手元にある印刷資料を基に盛んにメートルを上げたものである。
 「あなたがお金に困っているようなことを新聞に書くから、警察が逆に犯人が世間をカモフラージュするためとかえって疑うかもしれない」と女房は細かい推理を働かせる。
 今、ニセ札の捜査は当局も懸命になっているらしい事は、昨日の日曜日、久しぶりに板橋から訪ねてきたブローカーが、偽札のことで警視庁からしつこく調べられた。3年ほど前に彼がブローカーしたハンド(このところ当局が目をつけている手廻しのオフセット転写機)の売先を忘れてしまい、思い出せずに困っていると言うこぼし話をして帰った。ブローカーなどというものは大した店構えもなく、資金もなく、定職がある様な、ない様な商売だから、この際一応はマークして追求されるのが当然かもしれない。
 今日所沢から来たという人も、あるいは警察の回し者かも知れないと言う女房の推理も笑えない。 私は警察の本気な捜査には感心するが、ニセ札印刷が中古なら3万円か5万円で買えるチャチな機械で果たして印刷出来るかどうか、私たちの幼稚な経験かも知れないが、本物と変わらないあの精巧な贋札を作るには、完全な三色分解のできる製版カメラ(百万円以上はする)と千分の何ミリという誤差もない正確な重ね塗りのできる印刷機(これも百万円以下ではないであろう)が必要である事と、色を合わせたら3万枚、5万枚刷らない事には間尺に合わず、一枚刷るにも千枚するにも同じ手間と時間だという事を当局が斟酌していないと言う迂闊さが歯痒いようだ。
 当局は犯人が5枚か10枚刷ったら、各地を飛び歩いて、夕方、老人が店番している菓子屋を狙い打って歩いている様な見方を改めないが、私は全然それと観点を異にしている。
 ニセ札は、一日に3枚か5枚しか千円札を扱わない田舎の駄菓子屋だから発見されるが、都会の繁盛をしている店では、そんな暇がないから発見も鈍いのだ、という確信は今も変わらない。
 また、印刷に多少の経験を持つ立場から、あれだけ精巧な印刷ができるのは一枚の用紙に少なくとも30枚、50枚を版付けして、1時間に2千枚くらい、一時間刷れば3万枚、金額にすれば3千万から5千万円分くらいは作るほどの大量生産(それも印刷屋から見れば大量の名にふさわしくはない)方式でなければ、あんなに精巧なものは出来ないという見方をしている。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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