再軍備論のゆくえ
『あまのじゃく』1950/8/29 発行
文化新聞 No. 39
米の対日韓講和草案から
主幹 吉 田 金 八
28日の各紙はUP通信の米の対日韓講和草案に日本の再武装が禁止されていない旨の報道を伝えている。これが実現されれば日本が自らの意思で軍隊を持つことも、持たないことも決められる訳だから、講和の条件としては寛大すぎて至極ありがたい。
〇 ただ問題なのはこれに対する国民の心構えである。武装を解かれたから平和国家を標榜し、許されれば再軍備・軍国主義の再建ではあまりにも浅ましい限りではあるまいか。
〇
朝鮮動乱が始まって日本人は丸腰の有難さをしみじみ味わった。一衣帯水の隣国の戦乱の最中、日本一の七夕祭りが出来、大花火大会ができるのも、武装なければこそである。
〇
将来軍備がないために国土がいずれかの国に蹂躙される憂き目にあうこともあるであうが、世界にも世論があり、国際法の常識もある事ゆえ、戦争の当事国以上の惨禍に見舞われる事は、よもやあるまい。
〇
子供の多いのは産児制限で平和的に処理することにして、戦争の一六勝負に人口問題の解決をかけるのは、考えるだけ空恐ろしい。折角の平和国家を再び東条流の偽装国論統一で軍国主義の方向に持っていかれてはかなわない。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】
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